何も書かれていない真っ白な日記帳

マイブック

今年になって日記を書き始められた方もいることだろう。私は毎年新潮社版のマイブックという日記帳を使っている。一見文庫本に見える。いままで何冊上梓したことか。表紙の裏に自分の写真を貼る所があって、そこには著者の顔と書いてある。奥付にも自分の名前を書き入れるようになっていて、一年書き続けて仕上がれば、自分が書いた文庫本の出来上がり。

自分の生きた毎日を綴った一年間は、どの人にとっても本に値するという事になる。値段も文庫本の値段で使い始めたころは324円だったが、今年になっても400円という安価で、文庫本の値段だ。発行部数は毎年一冊で、決して一般書店では手に入らない限定版というのだから、尊いではないか。

日記帳の変遷

私の日記付けは、字が書けるようなった時から始まっているようだ。姉が、私と二人で使っていた部屋の整理をしてくれたために、膨大な量の日記帳が出てきた。小学校一年の時から、結婚渡米する時までのものだから、かなりの量だ。

初めは拙い絵日記で始まっている。紙もわら半紙に自分で線を引いた物から始まり、画用紙の物もある。小学校では必修であったのだろう。絵日記のころには、ときどき私の字ではなく、母のきれいな字で書かれた物があって、このころは、学校への提出物としての日記であったようだ。

あまりにも汚い私の字に教育ママのはしりであった母が手を貸したのだろう。先生からのコメントも入っている。中学一年の時の日記帳は横書きの自由日記という立派な日記帳で、次のように書かれている箇所があった。

「私の日記はいつも汚い字で、くだらない文章が続いている。中一らしく、いつも自分の思っていることなど書き示したためしなし。アンネフランクの日記には自己批判、世界の動き、大人達へのするどい批判、感情の動きなど、生き生きと出ているのに比べ、私の日記はなんとふざけ半分ではないか。

一生に一度しかない日々、すぐその日のこと、若い時のことを忘れてしまう愚かな人間達、だからこそ、書いておかなければ」とずいぶん殊勝だ。

その次の年、私が中二の時の日記帳は集文館刊で布表紙の横書きだ。その最初には
「なんとすてきな日記帳でしょう。こんな良い日記帳だったら、この一年間ずっと続けることができるでしょう。それどころか、書きたくてたまらないのではないでしょうか。

私の心、そして生活がこの日記帳と同じように美しく、そして、その心構え、また心構えだけでなく、実行すること、それらが長続きするように、そしてこの一年はそのようなことが毎日毎日のページに記されるようにこの第一ページに私は述べておきます。

『人を愛す』これを目的として、人生の最も大切な一年をすごすことができますように、そうしてみせましょう」

などと、書いている。母や姉に叱られたこと、友人とのことでの悩みなど、今ではすっかり忘れてしまった、青春の波うった日々が書かれている。

その年の終わりには、「今日でこの日記帳も終わりだが、三十一日までこれに書いて、一月から新しいのを下ろそうと思う。昨日一平堂で見たら、いろいろ楽しそうなのがあった。今度は縦書きのにしようと思う」とずいぶん日記帳の体裁にこだわっている。

高校の時になると、新聞や雑誌の切り抜きや友人達からの手紙も挟んであって、そのころの生活がまざまざと蘇ってくる。世の中の動きまで、欄外に書いてある。今書いている日記よりももっと高度で、またどういうわけか、字も今よりきれいだ。

大学のころからは、大学ノートを使うようになって、後に夫になった男性への想いが信じられないくらい書き連ねてあり、気恥ずかしい。やはり日記とは、限定一冊発行、読者は自分だけで十分だと、この夫への恋心の箇所を読んでそう思った。

母の日記

母もよく日記をつけていた。その字のきれいさは私が彼女の娘とは信じがたいくらいだ。俳人であった父をまねて詠んだ俳句なども日記の中に記されていたようだ。彼女が長年使っていた厚いノートが満杯になったようなので、日本に帰った時、例のマイブックをプレゼントした。一年目は喜んでいた。二年目、九十歳になったころから書いていないようなので、目の前に置いて、書くことを促すようにした。

その度に「後で書くから」と、横においやるようになった。物忘れするようになりだしたころだ。「今日はお墓詣りに行ったからそのことを書いたら?」などと提案しても、なかなか書かない。何回も薦めると「そんなに脅かさないで」と言う始末。

昔のことは覚えているが、直前のことを忘れるようになった母としては、その日に何をしたかを忘れてしまっていたのではないか。日記を書こうとしても、自分が忘れているという事実に気づき、唖然として、恐怖が湧くのではなかったか。

書くということは、脳を刺激するからと、薦めていたが、「脅かさないで」と言われてからは、もうあきらめた。それでもと、毎年義兄が母にマイブックをプレゼントし続けてくれたが、その中はみな何も書かれていなくて、真っ白だ。

今のところ、私はマイブックが一番気に入っているからずっとこれを使うだろうが、後、何冊上梓できるだろうか。いつの日か、母のように、最後は何も書かないで真っ白かもしれない。それでもいいだろう。読者は本人一人だし、人生を懸命に生きたことには変わりないのだから。

竹下弘美

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