まな板の上の鯉 

リサイタルの恐怖

こんなに怖いことが世の中にあるだろうか。明日はピアノの発表会。なぜ、こんな事態になったのだろうか。ピアノのグループレッスンを始めてから一年半。ある日、先生が「リサイタルをしましょう」と突然言い出した。それを聞いた生徒の一人一人は皆、下を向いてシーン。

「そういうチャレンジがないと上手になりませんよ」

それでも皆黙っていた。だいたいがボケ防止のため始めたわけで、生徒も中年から老年で、楽しみながらやっている。苦しむためにやっているわけではない。

「ご主人やお友達、子供さんを招いてやりましょう」の先生の言葉に

「いいえ、皆来ません」

そんな私達の態度にもかかわらず、先生はリサイタルの日を決め、場所は先生宅。そして、その後は先生のご主人が得意のBBQをしてくださるという具合に、いそいそと計画し、皆に課題曲を割り当てた。もちろん、生徒四人に好きな曲を選ばせてくださった。

私が弾くことになったのは、「タイスの瞑想曲」という、もともとはバイオリンのために作られた典型的なクラシック曲だ。

先生がそのオペラの中の一曲である曲の背景を説明した文のコピーまでしてくださるに至っては、しないわけにはいかない。曲もとてもきれいだ。そんなわけで私達生徒は先生の熱心さに真っ向から反対する気力もなく、練習が始まった。ただし、この年になって暗譜だけはできないとみんなで先生に交渉した。

リサイタルまであと二ヶ月。毎日ちょっとの時間、たとえば、夕食の準備の合間なのにも練習するようになった。かなり私のレベルでは難しく、何回もつっかえる。先生は和音で弾かなければならないところを上と下の音だけで弾くように直して易しくしてくださった。

それでも曲の感情を出すまでの余裕など到底無い。間違えないように弾くことさえできない。いつも同じ所でつっかえる。リサイタルの前の日になっても運が良ければ、つっかえないでできる、というような状態であった。

ちょうど、オリンピックのフィギアスケートを見ていて、ハイジャンプをする時、運よければ倒れないで着地するというような危なっかしい選手がいるが、そのような感じだ。どういうわけか、不在な娘をのぞいて夫も、またちょうど帰省していた息子もリサイタルに出席するというではないか。

私のピアノはクラビノーバなので音量を調節するところがある。私が練習しているとその音量を零にしにやってくるような息子なのに。先生宅のBBQを目当てにしているに違いない。

昔、娘のピアノの発表会の時、客席で抱いたあの辛さを思い出して、息子に、「ママがつっかえても、どきどきしないでね」というと、息子は「いつもつっかえているから、それが本当だと思っているから大丈夫だよ」と変な安心感を私にいだかせる。

前々日に先生宅に予行演習をしに行って恐れはもっと深まった。というのは、我が家のピアノと先生のスタインウエイのピアノの鍵盤とはタッチが全然違う。

かろうじて、我が家のピアノでスムースに弾けるようになったところだったのに、先生のピアノの鍵盤はずっと硬いのだ。カープールをして、帰りながら、私達、いつもの四人の生徒は不安に駆られていた。もう、まな板の上の鯉だ。

本番

当日の土曜日の朝、あと二人の同じ先生から個人レッスンを受けている方を入れて、六人の出場者が、先生宅に集まった。ピアノのリサイタルがなければ、すごく気持ちの良い日だ。お客さまは私の家の夫、息子とあと一人の方のご主人、歯医者さんの奥さんだけ。皆、故意に人を招待しなかったのだ。そんなに少人数でも緊張する。

最初の麗子さんが、つつがなく、「荒城の月」と「アーニーローリー」を弾き終えた。二番目のパティさんが「浜辺の歌」を弾いた。少し、つっかえる。後で夫が言うのにパティさんのご主人はパティさんがつっかえる度に身を乗り出して、気が気ではない様子だったとのこと。

その次の個人レッスンの方は、「さくらさくら」をスムースに弾き終えた。いつも一番練習している黒一点の歯医者さん、鈴木先生が、ポカベルのカノンを弾いた。いつもの調子が出ない。

そして私。もうこの世の終わりだ。感情移入どころか、なにしろ、弾いた。別に上がりはしなかったが、時が過ぎるのを願って、ただ楽譜を追った。
案の定、いつもの箇所で、つっかえた。そして、魔の時は終わった。きっと夫も息子も冷や冷やだったことだろう。

最後を飾った方はやはり、個人レッスンの方でショパンのワルツを弾きこなし、最後に先生とタイタニックの中の曲を連弾した。とても上手だった。

BBQを楽しんだ後、帰りの自動車の中でグループレッスンの私達四人はなぜ上手く弾けなかったのかを話し合った。そして、結論は個人レッスンの方達は先生宅でレッスンを受けているから、先生宅のピアノに慣れているけれど、私達は歯医者さん宅に先生が出向いて、そこでレッスンを受けているので先生宅のピアノに慣れていないからだという結論に達した。自分の練習不足は棚にあげて。

そして、秋からは先生宅でレッスンを受けることに決めたということは、次リサイタルの時には、何の言い訳もできないわけだ。

「人生にはある程度の緊張が必要」と言われるが、あの怖さはある程度以上の緊張であった。まな板の上の鯉の経験はもうたくさん。

竹下弘美  

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One Reply to “まな板の上の鯉 ”

  1. こんばんは。お気持ちお察しします。
    私も九月一日にエレクトーンの発表会があり、八月はどこに遊びに行っても気もそぞろでした。
    お疲れ様でした。

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