障害は不便である。しかし不幸ではない。

二本脚の犬

メールで、驚くような話が度々送られてくる。今回は、二本脚の犬の話が回ってきた。すでにテレビで紹介されたり、本になったりしているので、知っている方も多いかもしれない。この犬は、生まれた時から後ろ脚しかなく、母犬でさえ、育てるのをあきらめ、面倒を看なかったという。親犬の飼い主も、その場で眠らせようと思ったそうだ。

ところが、この犬を育ててみようという家族が現れ、彼らは、この犬が歩けるようになるよう訓練する事を決断し、フェイス“Faith” と名付けた。Faith(信仰)とは、聖書によれば、「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する事」である。まさにこの犬にピッタリの名前だと言えよう。実現不可能なようだが、飼い主は、歩けるようになる事を望み、確信しながら、トレーニングを始めたのだ。

初めは、サーフボードの上にフェイスを載せて、動きを感じさせ、体得させた。次には、スプーンにピーナッツバターを入れて、それで釣って、立ったり、ジャンプしたりする事を教えた。六か月目に奇跡が起きた。フェイスは、後ろ脚でバランスを取り、前に一歩進めるようになったのだ。

その後の訓練で、今では人間のように後ろ脚二本で歩けるようになった。歩くのが好きになって、行く先々で人気の的だ。「What a Little Faith」という本まで出版された。飼い主は女教師で、時々フェイスを自分が働いていた学校に連れて行っていたそうだ。この犬を見て、生徒みんなが力づけられたという。不可能が可能になっているからだろう。希望を失っている人に「やればできる」という意欲を与えていたという。

五体不満足

人間で言えば、かつて一世を風靡した「五体不満足」の著者、乙武洋匡氏である。一方は犬で、一方は人間だけれど、両者の背後には愛を持って受け入れ、絶えず、支えていた人がいるという点では同じだ。乙武氏の母親もすばらしい愛の人だった。両手両足のない赤ん坊を見て「かわいい」と言ったという。

「五体満足でさえいてくれればどんな子でもいいと人は言う。だが、僕は五体不満足な子として生まれた親不幸な息子という事になる。だが、その見方も正しくはないようだ。両親は、僕が障害児として生まれた事で、嘆き悲しむという事はなかった。母が僕に対して初めて抱いた感情は、驚きや悲しみではなく、喜びだったと言う」

と彼は、自分の誕生が喜ばしい事として受け入れられたのを感謝している。だからこそ、素直に先天性四肢切断という障害を「身体的特徴」と捉えて「自分にしかできない事」をしようという積極的に生きる姿勢が生まれたのだろう。

彼はある夜、突然気付いた。自分が障害を持っているなら、それを生かさなければ、宝の持ち腐れだ。それを遂行する事が、自分がどう生きていくかという問いに対する答えだと。そして自分の立場を生かし、早稲田大学でバリアフリーの町づくりに貢献した。それは、障害を持った当事者でなければできない事だった。またそのようなバリアだけではなく、障害者を「かわいそう」と見る健常者の心の壁、心のバリアフリーを提唱しなければいけないと、講演会を飛び回る。

「障害は不便である、しかし不幸ではない」ヘレン・ケラー
一時彼は脚光を浴びたが、その後どうしているかと調べてみた。早稲田大学に在学中にすでにスポーツキャスターとして仕事をしていたというのは聞いていた。それには彼なりの理由があった。彼はスポーツ好きで、不完全な身体ながら、みんなと一緒に体育の時間も励んだが、健常者のようにはいかなかった。その分野で完全燃焼したから、スポーツキャスターになったのだそうだ。

子供達に自分の生き様を見せて教育しようと教員免許取得のため、また大学に入り直し、今は小学校の先生をし、結婚もして、三児の父親だ。

「声を大にして言いたい。障害を持っていても、僕は毎日が楽しいよ」
「健常者として生まれても、ふさぎ込んだ暗い人生を送る人もいる。そうかと思えば、手も足もないのに、毎日能天気に生きている人間もいる。関係ないのだ。障害なんて。何よりも僕自身が毎日の生活を楽しんでいる。多くの友人に囲まれ、車椅子と共に飛び歩く今の生活に何の不自由もない」

そして彼は、次の言葉であとがきを終えている。

「障害は不便である。しかし不幸ではない。」ヘレン・ケラー

P.S. ところがその後の彼を追うと、なんと何件もの不倫事件を起こしたという。自信過剰になって、もうロールモデルではなくなった。あの犬のFaithの方がよほど、偉い。

竹下弘美

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