アフタヌーンティー

母の入院

東京にいる姉から、母が入院したという電話をもらったのは母が九十一歳になったときだった。

母は姉とス-プがさめない距離の三軒隣に一人住まいしていた。九十一歳といっても毎日自分でゴミを出し、買い物に行き、耳は遠いが元気に暮らしていた。昨年あたりから、夕食は姉の家で食べるようになったが、その際も必ず、一皿は持参していた。

コレステロールの薬だけは飲んでいるが、健康そのもの。今まで身体にメスを入れたこともないし、入院した経験もない。けれど、やはり、長い間使っていた身体だ。ガタがくる時が来たのだろう。

ある日、姉が見に行ったところ、その朝行った時は大丈夫だったのに片方の足が動かなくなったと椅子に座っていたという。すぐ医者に連れて行き、ERに回され脳梗塞ではないかと、即入院となった。

浜松医大で医者をしている、姉の息子がすぐとんできてくれ、検査の結果、脳梗塞ではなく、後縦靱帯骨化症という名前の病気だと判明。それは髄液が少なくなって筋肉が骨のように硬くなる症状だという。足が動かなくなったばかりではなく、筋肉の靭帯が働かないために尿が出なく、それがとても苦しかったらしい。

若い人の場合には手術で直すが、母の場合には、心臓が肥大していることがわかり、手術は危険だと判断されてリハビリと薬で直すことに決められた。もともと楽天的な母は、二ヶ月に及んだ病院生活を楽しく乗り切ったようだ。

気に入った看護士さんのことを「私のボーイフレンド」と呼んだり、生まれて初めての入院生活をエンジョイし、いたれりつくせりの看護に何回もどの人にも「ありがとう」を繰り返す。

それにしても、尿道に管を通して、袋をぶらさげる作業は痛かったはずだが、私と同じように痛さに鈍感なのか、あるいは忍耐強いのか、母は文句を言わなかったようだ。

私は生死に関係ないのですぐ来日する必要はないという、姉の言葉に甘えて、短い手紙を毎日ファックスしたくらいで、二か月経ってから訪日した。それにしても共働きの姉夫婦のそれまでは大変だったろうと察する。

二人は毎朝、毎晩、勤めの行き帰りに母を見舞ったようだ。病院が家の近くだったのは幸いだった。

私が訪日してから一週間後に母の退院が決まった。リハビリで歩けるようになったこと、薬でカテーテル(尿道に通じる管)なしでトイレに行けるようになったことで二ヶ月の病院生活に終わりをつげることになった。姉

はちょうど三月末に退職していた。その姉と私は退院の日に向かって毎日母の家の片つけを始めた。介護ベッドを入れるスペースを作らなければならない。退院までの五日間をそれに費やした。

父が亡くなった後、一人暮らしをしていたから、物の多さはすごい。心を鬼にして二人で捨てることに専念した。朝から片つけ、三時になると、姉と私は魔法瓶にお茶を入れ、お茶菓子を用意して、お茶碗をハンカチで包み、その日の新聞を持って病院にでかけた。

ある時は歩いて、八重桜や富山つつじの美しさを愛でながら、午後のお茶の三時に間に合わない時には自動車で。こんなに姉と時間を共有したのは子供時代でさえ、なかったことだ。

病院に着くと、母はいつも笑顔で私たちを迎える。私にとってそれは当然のことだったが、考えると母がいつもpositive thinkingだということは周りにとってどんなに楽なことだろうかと思う。

ゆううつな顔をすることもなく、文句を言うどころか、感謝ばかりしている。私もいつも最悪な状況だとかえってそれを愉しむが、それは彼女によって培かわれていたのかもしれない。

午後のお茶

母を車椅子に移し、談話室に連れていく。歩けるようになったといってもまだ、車椅子に世話にならなければならない。そこで、私達の午後のお茶が始まる。耳が遠い母のため、私達はいつも筆談用の白いボードを持参している。

それに何が起こったかを書く。周りにはやはり面会者とパジャマ姿の患者さんがいるが、私たちはかまわず、午後のお茶を愉しんだ。

三日目だったろうか。髪の薄くなった紳士が母の病室を訪ねてきた。始めわからなかったが、昔お向かいに住んでいた、私にとってはお兄さんの存在だった方だった。四十年ぶりだ。

その方は姉と同じ年に生まれたが、お母さんのお乳が出なかったため、お乳の出が豊富だった母が姉といっしょに彼にもにお乳をあげていたのである。母はいわば、彼の乳母である。

その日の午後のお茶には彼も加わった。彼のもってきてくれた見事なイチゴとマンゴをお茶菓子に。「今、僕があるのもおばさまのおかげです」と、彼はボードに書いた。昔話に花が咲いた。

退院の日が来た。ボーイフレンドの看護士さんが母にお別れに来た。彼は母の耳元で大きな声で 「ひとりでお買い物なんかに行ったらだめですよ」と言った。

家に帰ると、母はすっかり片つけられた部屋に介護保険で借りた看護用ベツドが置いてあるため、「自分の家のような自分の家でないような変な気分」とそろそろ家の中を見て回った。

勝手に片つけられてしまったことに文句も言わずに、危なっかしい足取りで午後のお茶には自分で台所に立った。今日、退院したばかりなのにと思いながらも、それが母の健康法かもしれないと姉と私は座って母に給仕してもらった。

「我が家がやっぱり、一番いいわね。気を使わなくて」 そのとき初めて母が病院では結構気を使っていたということがわかった。

その日、母が入れてくれた緑茶はビクトリアアイランドでのハイティーのお茶よりもなによりもおいしかった。

竹下弘美

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