預かった宝

白金も黄金も珠もなにかせむ 勝れる宝 子にしかめやも

「白金も黄金も珠もなにかせむ 勝れる宝 子にしかめやも」 私達の時代に、国語の教科書に載っていた万葉集の和歌である。先日ある所で、子育て最中のお母さん達へのお話を頼まれ、これを引用したが、皆、キョトンと怪訝な顔をして、この和歌を知っている人はほとんどいなかった。 

子供に勝る宝はないという意味である。この和歌を知らないのは仕方がないが、このごろのお母さん達が子供を宝と思わないのだったら困る。私の家では、子供二人が巣立ってしまった今になって、やはり子供達は、宝だったなと実感する。この宝をどのように磨くかは、その家庭に託されている。特に時間を多く共有する母親にかかっているだろう。

その宝はガラス玉かもしれないが、それなりにガラス玉の美しさを出すように磨けばよいのだ。そこでガラス玉であることを認識せずに、ルビーにしようと思ったり、サファイヤにしようと思う親がいると、問題が生じる。

いずれにせよ、せっかくいただいた子宝なのだから、一生懸命に磨こうではないか。私達は結婚してから十二年目に子供が与えられたので、天からの授かりものであることは、胆に命じていた。この預かった宝をちゃんと育てなければ、と、かなり意識して厳しく育てた。

愛とは時間をかけること

まず、愛とは時間をかけることだ。子供にどのくらい時間を使っているか、ドラマの中にもあったが、お金は使っても後でまた手に入れることができるが、時間は使ってしまったら、決して取り戻すことはできない。であるからこそ、時間をかけるというのが、一番の愛の表現であるという。

この国では十八歳までしか、子供と過ごせる時間はない。子育ての最中、たっぷりと時間をとってあげたいものだ。もちろん、それはべったり、いつもいっしょにいるということではない。たまには、子供をベビーシッターに預けて、夫婦で出かけるようなリフレッシュする時も必要だろう。

私は母の日にはいつも夫に子供を預けて、同じような子持ちの友人達と、お寿司を食べにいったものだ。次に、ほめることを大いにしてほしい。これは、特に日本人に欠けている教育方針であるからだ。かなり前の話だが、あのバレンタイン監督が、ロッテを優勝に導いた秘訣である。

その次は、悪いことは悪いとはっきりと教えなければならない。年とってからの子供は甘やかされやすいので、私達は、極力厳しく育てた。けれど、その裏に愛の裏打ちがあったから、厳しくしても子供が反抗しなかったのだと思う。

スパンク(体罰)に反対する意見の人もいるが、私はstrong will child(強い意志の子)にはスパンクを使わなければいけないという持論を通した。

ドクタードブソンの本、「おもいきってしつけましょう」

げんに娘はとても強い意志の子で、一回で言うことをきくような子ではなかった。人前であろうと、強くスパンクをした。そのスパンクも撫でるようなものであってはならない。もう二度としないように、こちらが、痛く感じるようなものでなければならない。

このことについては、ドクタードブソンの「思い切ってしつけましょう」という本がある。彼は母親にガードルで鞭打たれたといっている。よく、泣き声を出して、ダダをこねている子供、また、親をぶっている子を見かけるが、あれはすでに親の権威が失墜している証拠だ。この幼少期に親の権威に挑戦してくる子供には、はっきりと親の権威を示しておかないと、ティーンエージャーになってから、手がつけられなくなる。

「家の子は夜遅くなっても帰って来なくて心配で」という友人に、「だって門限があるでしょう?」と言うと、「門限があっても守らないの」と平気で答える。親の言うことなど、どこ吹く風になってしまっているのだ。門限は守らせなければならない。それは、幼少期の育て方一つにかかっているのだ。一度駄目と言ったことは必ず、駄目として、子供に従わせるべきである。

また日本から来た私達には、アメリカ社会で生きていく子供の勉強をみてあげることができるのは小学校低学年くらいまでだろうから、次にできることといえば、環境作りであろう。私の場合、息子は八月生まれだったので、一年遅らせた。日本人の感覚としては遅らせるとは何事かと思うだろうが、これはたいそう良い結果を生み、彼は悠々とリーダーシップをとっていけるようになった。

また、息子が行きたかった高校に行くために家族で、その高校の地域のアパートに引っ越した。寄留が許されなかったから、この方法しかなかったのだ。

その高校でのビデオプロダクション・クラスを通して息子は自分の生涯の仕事、映画制作の道を発見することができた。そして、この国では、ローンやスカラーシツプがあるから、親の経済的理由で子供の希望をあきらめさせることをせずに、私達は、子供達の行きたい大学に行かせることが出来た。

このように私なりに、自分の良いと思う方法で、与えれた二つの宝を磨いてきたつもりだが、一時ブームを呼んだ韓国ドラマ、チャングムの中で次のような言葉に出遭った。
「母とは食医のような者であり、子供の食べる物、着る物、眠ること、身体の調子に気を使う。

家族の僕であらゆるつらい仕事をし、けれど家族全員の師匠でもある。自分はつらい思いをして必死に働くが、子には寒い思いも、ひもじい思いもさせず、昼夜を問わず子の平穏を思う。この母の慈しみがなければ、子は何もすることができない」

はたして、私はチャングムのいうような母であったろうか。子の平穏は願っていた。寒い思いも、ひもじい思いもさせなかった。けれど、必死に働いただろうか。あらゆるつらい仕事をしただろうか。家族の師匠であっただろうか。

反省させられることも多い。…… .よし、その分は、孫の代に挽回しよう。 

竹下弘美

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