Being(存在そのもの)の価値、母の介護にあたって

姉夫婦による介護

一時駄目かと思った母が持ち直し、その後リタイヤした姉夫婦に介護されていた。その後、私が訪日した際には、すっかり食欲がもどり、よく食べるようになっていた。一週間生活を共にしたら、母の回復の理由が理解できた。姉夫婦の懇ろな介護と、栄養たっぷりな食事につきる。姉は母を最期までコミットして心残りなく、看取るだろうと思えた。

母の介護はスケジュールにのっとっていた。朝、私達がまず七時に雨戸を開け、母に電子レンジで温めたタオルを渡し、左手も使っていたが、利き手の右手を使って自分で顔を拭く。新しいおむつに換えたところで、ベッドの頭の部分を上げて座らせ、着換えさせる。前には、自分でボタン掛けができたのに、もうできなくなってしまっていた。

次に車椅子をベッドに寄せて、ベッドから車椅子に移動させるが、これには、またコツがいる。ちょっと痛かったり、あたったりすると母はすぐ文句を言った。既にほかの事には無関心になっていて、それだけが母の意思表示だった。

聴力が無くなってしまったから、私達は白板に書いてこちらの事を伝えるが、それに対する応答せずに、つまり会話が無くなってしまっていた。

排泄も前回私が訪日した六か月前にはポータブルトイレでできたのに、大便以外はおむつだ。車椅子で洗面所に連れて行き、自分で右手を洗ってもらう。そして車椅子のまま、食卓につかせる。自分で何でも食べる事ができるのが、せめてもの幸いだろう。

週二回は入浴サービスが来てくれ、他の日も二回リハビリの看護師さんが来ていた。車椅子でつかまり立ちの練習だ。食後、姉につきあって少しはテレビを見るが、すぐベッドにもどりたがる。

夕食後、大きなバケツにお湯を入れて五分間足湯をさせる。足の爪が病気になっているので、丁寧に拭いた後、薬をつけて新しいソックスを履かせ、着替えさせて就寝。それが九時ごろだが、夜中の二時にはおむつ換えをする。そうでないとあまりにも濡れ過ぎると姉は言っていた。その間に、母のシーツやタオル類、下着を山のように毎日洗濯する。

姉は母に文句ばかり言われながらも悲壮感は持っていなかった。義兄の協力が大で、義兄に留守を頼んで、同窓会の役員会に出席したり、教会でオルガニストをしているので、時間をぬってパイプオルガンの練習に励んだり、気分転換をしてうまくこなしていた。

手が焼ける母親を介護していた人が、「自分が赤ん坊の時に母親に世話をしてもらった事の恩返しだと思ったら克服できました」と言っていたのを聞いて、姉は果たしてどう思っただろうか。

姉夫婦の作る料理

介護も徹底しているが、料理が好きな姉夫婦の、栄養と水分を十分に摂れるように用意する料理に毎回の事ながら、感嘆した。朝は二種類から三種類の果物、卵、牛乳に紅茶、トースト、昼はハヤシライスや炊き込みごはん、サンドイッチ、必ずサラダとヨーグルトがつく。すべてが手製。夜はまず二日に一度は鰹節削りから始まる。

この鰹節とたっぷりの昆布から、だしをとり、その日に一番だしを使い、翌日のために二番だしをとっておく。鶏ひき肉の松笠焼き、スエーデンに度々でかける義兄が習って来た、スエーデン風ロールキャベツ、ローストビーフ、大判の皮を使用した中身たっぷりの餃子、それに常備食のセロリーの佃煮や金柑の甘露煮なども作る。

味噌汁のおいしさはやはり、だしが本物だからだろう。母には義兄が細かく挟みで切って出す。朝食のリンゴは、細かく切った物を一度電子レンジで温めて柔らかくする。トーストも二センチ四方くらいに切って、その上にジャムを載せる。こんなにおいしくては、食欲が増さざるをえない。この訪日体験で、いかに食生活が大事なのかを再認識させられた。

母が生きていてくれたこと

以前食べ物を全然受け付けなくなった時の事を思うと生きていてくれるだけで感謝だった。足腰がたたなくなって、何の働きもできないこと、つまりやる事(doing)がなければ存在(being)価値を見出せないような働き者の母はどんなにつらかっただろうかと思う。でも生きていてくれただけで彼女の存在価値はあったのだ。

その後母は姉夫婦の手厚い介護の下で、夕食前、一瞬のうちに101歳を前に穏やかに召された。お通夜の挨拶を姉は次のように結んだ。
「母の介護の九年の間で、私も母も何かやり遂げる事が大事なのではなくて、自分自身がここに存在することに価値がある、ということを会得したようです」

私達はとかく、何を成し遂げるかに価値を見出しがちで、そうでなければ生きている価値が無いように思うが、私達の生きている存在そのものに価値があるのだ。

今日を生きよう。

竹下弘美

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4 Replies to “Being(存在そのもの)の価値、母の介護にあたって”

  1. 素敵なお話ですね。お姉さまや弘美さんを生み育てられたお母様はさぞかし素晴らしい方だったに違いありません。娘の手厚い(でも甘やかさない)、理想的な介護を受けながら101歳を前に穏やかに召されたのですから。

    1. 道子さんの母上はご健在ですか?
      どうぞ、お大事になさってあげてくださいね。できなくなるときがありますから、

  2. 弘美様
     私は2年半前、106歳で母をなくしました。
    高齢によるひどい物忘れから100歳位で認知症になりました。
    足が叶わなくなったのは103歳頃でしょうか。でも昼間は起きて、でも椅子に座りっぱなしで殆どねていましたが。お手洗いにはよちよち歩きの赤ちゃん宜しく、手を取って連れて行っていました。
     心臓疾患もあったので、それの入退院の繰り返しもあったようです。弟夫婦が自宅で看病していました。それはそれは大変だっと思います。義妹は優しくて気づかいの凄いひとです。食べ物も母の分だけ小さく切り刻んでくれていました。だから私達は安心して義妹に看病を任せていました。でもさすがに最晩年の3週間だけでしたが付いて徹夜で看病しました。それで弟たちの苦労がいかほどか実感として解りました。母は晶子さん、晶子さん(義妹の名前)と言いながらなくなりました。
     寝たきりでも認知症でなにも解らなくても、そこにいてくれるだけで私達は嬉しいのですよね。
     お姉様の通夜でのご挨拶、本当にそうだなとつくづく思います。
         ガリ子

  3. 雅莉子さま

     最期までトイレに1人で行けたなんてすごいお母上でしたね。また
    お嫁さんがすごい。お嫁さんだから、またすごい。肉親でないのに。
    周りの人を優しいおもいにさせてくれるお嫁さんだったのですね。

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