死とは永遠に続く素敵な昼寝―キャサリンヘップバーン

人生の黄昏

「六十歳代はいわば、人生の黄昏の時であり、良い日没を迎えるために備える年代である」    

知人の還暦祝いの時のこと。サプライズパーティーでとても御本人は喜ばれた。そして、彼女のお姉さんからのこのような祝いの言葉を出席者に披露された。「良い日没を迎えるために備える黄昏時」、なるほど、素晴らしい。

私は黄昏という言葉が好きだ。黄色くて昏いという字がそのままを現している。あの、今から暗くなるという前兆の静かな日の光を思う。知人のお姉さんが言う通り、六十代はそんな時なのだろう。 

昔キャサリンヘップバーンとヘンリーフォンダ 主演の「On the Golden Pond」という映画があった。日本語版は「黄昏」。そのタイトルがぴったりのリタイアした老人夫婦の人生の黄昏時を描いた美しい映画だった。長らく理解しあえなかった娘と、老いた父親が最後には心を通わせるようになる。ときには老い故の、哀しい現実をみつめながら、夫婦がいたわり合う日常を金色の池、「ゴールデンポンド」の自然を背景に描いた秀作だった。    

脳のメモリーキャパッシティ

いつごろからだろう。友人達が集まると必ず、健康、老眼、物忘れの話などになるようになってしまった。黄昏が近くなってきたせいか。物忘れについては、「昔も物忘れをしたのに、急に年のせいにすることはない」とポジティブ思考の友人は言う。けれど、昔よりもその度が多いのは、残念ながら認めざるをえない。

このことについては、コンピューターのメモリーを考えればよいのではないだろうか。満杯になると、許容できなくなるから、私達の脳も、メモリーの中に入らない物はごみ箱にいれなければ、新しい情報が入ってこないことは当然なのだ。痴呆症の老人が、昔のことは覚えているが、今のことは覚えていないというのは、脳のメモリーが一杯になってしまっているからで、コンピューターのようには、いらない情報を、ごみ箱に捨てることができないからだ。

また昔は寿命が短くて、脳のメモリーに入る程度までしか生きなかったから、今のように痴呆症の問題もなかったのではないだろうか。これは私が最近発見した自説。このことに気がついてから、あまり重要でないことは脳にインプットしないようにしている。

加齢

十年くらい前に日本にいる義姉と電話で話していた時、お互いの健康の話になって加齢という言葉を初めてきいた。医者に行くとなんでも加齢によるものと、かたつけられてしまうという。この加齢と言う言葉は老いるとか、年だという言葉がマイナスイメージなので、それに代わるものとして作られたのではないだろうか。物忘れも身体の弱さも、すべて加齢によることは確かだ。

生まれつき、私は楽観主義者だと思う。それなのに、最近は朝起きた時に、「神様、新しい朝をありがとう」という昔味わっていた歓びが無い。これはやはり、加齢のなす業。忍び寄る老いや死に近づいていることへの、潜在的恐怖があるのではないかと分析していたところ、精神科医の神谷美恵子氏著、「心の旅」という本に出会った。そこに「老い」について、次のように書いてあった。

「若いということが前進感に満ちているのに対し、年を取るということは、停止することである。終わりに近づくという感情が、ある日、我々の魂に潜入する。もはや、周囲の生活の花開く動きについていけない。それは私より速く進み、私を追い抜く。年を取るという現象の基礎にあるのは、周囲の生成に対する我々自身の生命の遅滞感であり、無能感であり、悲痛感である。その結果、老いつつある自分を全体的に捉えられない人は絶望的に陥り、鬱病になる可能性さえある」。

続いて彼女は「向老期」という老人になる前の時期に、うまく次に来る「老い」を受容
する準備をすることが、その後の老年期を生きる成功の秘訣になると説いている。

それにはどうしたら良いか。自分の体力相応の生活をすること、生きる時間の用い方、配分の仕方を考えること、特に彼女が強調していたことは、時間そのものを長時間的に捉えるという思考方法だった。

神谷氏によれば、永遠の時間は自分が生まれる前にも後にも続くわけで、それに気がつくと、自分の一生の時間も悠久な永遠の時間から切り取られたごく小さな一部分にすぎないことがわかり、個人の一生は単なるライフサイクルが歴史のひとこまと偶然にぶつかったものにすぎないことを知るという。

その結果「老いつつある自分」を全体的に捉えることができるようになり、死を超える未来が開けることがわかると、死も老いも恐れる対象ではなく、自然なことであり、それを受容して、黄昏期をすごすことができるという。

「老いも死も悪い事ではない。死によって人間の霊魂は抹殺されるか、それとも永遠の生命に導かれるかだ。前者の場合にも恐れることはないし、後者の場合は喜ぶべきことではないか」というキケロの言葉を引用している。

最近の日本の統計では、多くの高齢期の人達が老いに向かって不安を抱いていると聞く。それは医療問題や経済的なことなど、具体的なこともあるだろう。しかし、それよりももっと深い、心の問題のように思われる。

大きな原野に立って自分の一生を、人間よりはるかに偉大な永遠の彼方に委ねていけたなら、晴れ晴れと加齢を楽しんで黄昏を迎え、日没に向かって生きていけそうだ。

あの映画の主演の二人も、また神谷美恵子氏自身もすでにこの世にはいない。

「Death, she once said “will be a long wonderful nap”」(死とは永遠に続く素敵な昼寝)とキャサリンヘップバーンは生前、新聞社のインタビューに答えている。  

竹下弘美

                             

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One Reply to “死とは永遠に続く素敵な昼寝―キャサリンヘップバーン”

  1. 最近2週間にわたる病気で毎日寝るでもなく起きるでもなくぼんやりしながらベッドでまどろんでいるときに、何かに向かった大喜びで駆けている自分の姿が目に移りました。大きな声でしかも叫んでいるのでした。「とうとう帰ってきたよ、天国へ」誰に知らせるわけでもなく、うれしさのあまり叫んでいることが解りました。と同時に半ば目覚めている自分が「人生にはコインの裏と表があるのだな」とぼんやり考えました。なぜなら神がこの命を取られるときでさえ、元気で生きていたいという正直な思いが生まれてくるのです。道半ばのクリスチャンより、

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