なくてならぬものー心臓外科、寺崎悠佑ドクターを生んだ背景、育て方

ウォッシュレット

ただひとつだけ、自分にとって必要なものを選びなさい、と言われたとき、次元が低い話かもしれないが、私は「ウォッシュレット」と答えた。「夫」と答えなかったと夫に詰問されたが、夫よりもウォッシュレットが必需品になってしまっていた。

何年も前に日本に帰国された駐在員の方から安く譲ってもらったのがきっかけだったが、毎日、快適だ。旅行に行っても早く帰ってきたくなる。ひとえにこのウォッシュレットのせいだ。特に大腸の検査の前日にはこの有難さは格別だった。

ご存知のように大腸検査のときは、お腹の中の物を全部出さなければならず、そのために前の日は半日ほど、トイレに座りっきりになるからだ。電子レンジを使い始めたら、電子レンジの無い生活が考えられなくなるのと同じで、これが無い生活は考えられなくなってしまった。

ご存知のように日本ではどこにいっても備えられていて、かの汚くて悪名高かった駅のトイレでさえ、ウォッシュレットだ。なんと快適なものを発明してくれたものかと、使用するたびに感謝している。使ってみなくては、有難さはわからないものだ。 

と、のんきに友人達にウォッシュレットの良さを話していたところ、それどころではない話を聞いた。友人の息子さん、寺崎悠佑君がアフリカのガーナに行っていた時にはシャワーもなく、バケツで水をかけて身体を洗っていたとのこと。都会に出て、お湯でシャワーができたときは大変な喜びだったという話だ。

かわいい子には旅をさせろ

彼、寺崎悠佑君は、今や胸部外科医。私の子供と同じ学校で小さいとき、プレイグループで毎週のようにいっしょに遊んだ仲だ。

彼は六歳のころ、ひ弱だからというご両親の考えで、カリフォルニアから日本にある山岸村に送られた。山岸村は平和を目的として作られた農業共同体の村で、今はその趣旨に賛同する人が増え、海外にもあるという。

アメリカからお母さんがある日訪ねて行った。別れる時、お母さんの手を握って離さなかった幼い彼。その指を一本一本こじあけて、別れてきたという話をついこの間、聞いたような気がしたのに、それから、三十年に近い日々が流れたのだ。

彼はそこで、農業を基盤とした共同生活を一年して、ご両親の期待通り、逞しくなってカリフォルニアに帰ってきた。“かわいい子には旅をさせろ”の諺通りである。もちろん日本語もできる。その後ご一家はネブラスカに引っ越された。

優秀な息子さんで、コーネル大学を卒業。在学中に大学が主宰した平和部隊の話を聞きに行って彼は、即座にアフリカでボランティアをしようと決心した。反対する両親に、タイムオフが必要だからと、医学部に入る前の二年半を、アフリカで過ごしたいと説得した。ご本人曰く、「アフリカに行くことは小さいころからの僕の夢だったが、医学部に行く前に気分転換を求めたにすぎなかった」

アフリカで

二十五人のボランティアの一人として赴いたガーナは、ケネディ大統領が創設した平和部隊が初めて派遣された国だ。すでに四十年も平和部隊を受け入れているので、アメリカ人は歓迎されるとのこと。

首都のアクラは人口も多く、インターネットや寿司バーさえある反面、田舎に行くと対照的で、エアコンディションもないし、水は外から汲んでこなければならない。トイレは、水をかければ流れる式のものだそうだ。ウォッシュレットどころではない。

学校も貧しい。現地の先生は規定された年月だけ田舎で教え、後は皆都会に出てしまう。それを埋めるのが平和部隊の人々だという。彼はガーナの高校で化学と生物を英語で教えたそうだ。

英語の基礎のない子供達に教えるのは大変だったそうだが、お母さんが、ネブラスカで公文式の教室を開いているのを手伝っていたことが、教えることに役立ったという。もちろん現地の言葉も使わなければならない。現地に着いてから二か月、言葉の訓練を受け、初めは現地人ファミリーの家庭にホームステイをしたという。

彼は子供のころ、手塚治の漫画「ブラック・ジャック」が大好きだったそうだ。外科医のブラック・ジャックの格好の良さに憧れていたという。その単純な動機で将来心臓外科か、臓器移植外科医になろうと希望していたが、ガーナでのボランティアの仕事がそれに輪をかけた。子供のころの夢が、夢でとどまるのではなく実践をともなってきた。

お母さんが送ってくれた、ネブラスカの新聞に出た彼の記事によると、彼はインタビューに答えて、「アメリカの平和部隊に加わったことは、犠牲ではなく、自分の生き方を決めるのにとてもすばらしい機会でした」と話していた。
「国境を超えた医者として、将来ガーナに戻る日が来るにちがいない」と新聞は締めくくっていた。

なんと素晴らしく成長したことだろう。あの「逞しくあれ」と、六歳の時にかわいい子を一人で日本に送ったお母さんがいたからだと思う。

日本でも、このような若者がどんどん出てきてくれたら、と願う。そしてすばらしいのは、彼が本当に子供時代の夢を具体化していったことだ。今、臓器移植も含め胸部外科医として歩みだした彼はいつの日か、またアフリカで働くことを目指しているという。

なくてならないものは? 

もうウォッシュレットがなければ生きられないなどと言うまい。だが、忘れっぽくなってきている今の私には、ウオッシュレットではなく、タイルという鍵や携帯電話を探すツールの方がなくてならないものになってきている。

(註}タイル thetileapp.com/ 小さな四角のもので、鍵を探したい時には携帯電話に、携帯電話を探したい時には鍵に着けているそれを押すと鳴って在り処がわかる。いろいろなものに応用できる。

竹下弘美

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One Reply to “なくてならぬものー心臓外科、寺崎悠佑ドクターを生んだ背景、育て方”

  1. 確かに旅をさせるというのは異なる文化に身を置けということで、長い旅にでていた、息子の視点により普遍性を感じるときがあります。

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