絵手紙という趣味に取りつかれて、道をまちがったかと思う老後の日々

小学生のころの写生大会

昔小学生のころ、よく学校から写生大会に連れて行かれた事を思い出します。今も写生大会はあるでしょうか?5歳年上の姉は絵の才能も音楽の才能もあり、写生大会では、いつも優勝していました。

私はといえば、たぶん、両親からの、どの才能も姉が持って行ってしまったのでしょう。絵の才能も音楽の才能も芳しくありませんでした。

ある時の動物園での写生大会ではアイディアで勝負しようと、皆が象は横向きに描くだろうと思い、象のお尻を描きました。

後ろ姿のお尻の真ん中に尻尾が垂れていて、ユニークだと思ったのですが、出来上がりはお尻の動きがなく、つまり生きていなくて、がっちりした岩の真ん中にまっすぐの線が垂れている(尻尾のはず)変な出来上がりでした。それ以来私は絵の才能は全くないとあきらめていました。

絵手紙との出会い

15年くらい前に、友人宅でその方のお母さまが描かれたというハガキ大の絵に出会いました。

そして気のきいたその絵にふさわしい言葉が添えられている作品がいっぱい貼られていたのです。それが絵手紙を知った最初です。とても素敵でしたがそれを愛でて感嘆するだけでした。私には到底出来る事とは思えませんでした。

ところが、退職してから、何か新しい世界に挑戦するのも良いなと思い始めた時に、日本人町で絵手紙クラスがある事、しかも先生は同じ教会の方だとわかり、試しに行ってみようかという気になったのです。

果物や野菜など写生出来るものを写生して、下描きはせず、輪郭を筆で描きます。この時、きれいにできないのが良いようです。それに色付けをしていきます。

絵具は水彩画の絵具ではなく特別な顔彩というものである事。まあ私にも写生だったら、出来るではありませんか。また初めは他のサンプルを見て真似してみる事で良いと言う先生の言葉で、サンプルをその都度、くださいました。

そして続けるうちにどんどん面白くなっていったのです。驚きでした。それでも新型コロナが流行する前にはクラスに行って描くだけで、家に帰ってから描く事はありませんでしたが、この時期、時間があり、初めてクラスではなく自分だけで描いてみるようにしたら、なんと、結構サマになるではありませんか。日本にいったときにTくったハンコを押すと立派に見えます。

ところが、字には困りました。みなさん、とても味のある字(上手な書道の字ではなく)を書かれるのです。先生はサンプルを真似する事で良いと言われました。

漢字を大きく、ところどころ太線にする。仮名は小さく、ウエブで調べたところ、左手で書くようにとのアドバイスがありました。試しに左手で書いたのがこれです。

クラスでは描いた絵に言葉、できれば川柳を添えるように指導されました。でもクリスチャンの私としては、聖書のみ言葉を書いたカードにしたく、初めのころは物を描いてから、川柳を考えて添えていましたが、今は聖書を読むと、その箇所に絵になる物はないかと探すようになりました。

ひょっとして、神様は私に絵の才能を与えてくださっていたのかもしれないと、錯覚を覚えた時、「絵手紙は下手なのが良いのです」という新聞記事に出会い、なるほど、だから絵が描けない私が描けるのだと、納得。

まだ生かされている今、もしかしたら、ほかにも神様は死ぬ前に私に何かさせようと、備えていてくださるかもしれないと、うぬぼれた、変な期待をしています。

でも、もしかしたら、私の、み言葉絵手紙をもらう方達は迷惑かもしれませんね。

竹下弘美


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“絵手紙という趣味に取りつかれて、道をまちがったかと思う老後の日々” への2件の返信

  1. 実は私も心に残る聖句があるとノートに残す習慣がつきました。いつかコロナ禍が過ぎて絵手紙を学ぶ機会がある時の準備です。聖書を読む目的が変わってきたこんな私を、神様はどう見ていらっしゃるでしょう?

    1. 道子さん

      神様は喜んでらっしゃるよ。
      書き忘れましたが、森田先生は人物や景色も描くことができますが、私には写生しかできないので、それがやはり絵心がある方と私みたいにな者との差だと思います。でも自分のできる範囲でも楽しめるので、ぜひおすすめ。美智子さんのようなアーティストは素晴らしい作品ができると思いますよ。

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