逃走

轢き逃げ事件

私は気持ちが落ち込むことはめったにない。いつもハッピーなのが、かえってAnnoying (気に障る)と息子に言われる。その私が珍しく落ち込んだ。その理由は、二週間前の轢き逃げ事件だ。轢き逃げをしたのは、息子が卒業した高校のシニアの女生徒だった。こちらの新聞やテレビで二日にわたって大きく報道された事件とは次のような次第だ。

朝七時半に運転して登校中のその高校生は、小学校に向かう自転車に乗った六歳の子と十歳の子を轢いた。六歳の子のお父さんも自転車で一緒だった。六歳の子は亡くなり、友人の十歳の子は重傷、お父さんだけ、無傷だった。お互いに近所に住む者同士だった。

別にスピードが出ていたわけではなかったという。轢いた加害者は、運転していたステーションワゴンが通っている高校内のパーキング場で見つかり、十時半に逮捕された。逮捕された時、彼女は震えていたという。彼女は何かにぶつかったと思ったけれど、それが人間だとは思わなかったと供述しているが、信じがたいと報道された。顔写真も名前も出ていた。

彼女は演劇が好きで詩人になりたいという夢をもち、教会でも活躍している前途有望な女子高校生だそうだ。近所の人達はあんなにいい子がどうして、と言う。一方、被害者の亡くなった六歳の子の写真も出ていたが、なんと愛くるしい子供だろう。悲しむ父親の写真も出ていた。

逃げたいと思う人間の習性

こんなことはいつもあちらこちらで起こっていることだろうが、私は加害者の女の子のことが気になってたまらなかった。息子と同じ高校であったということや、息子と年齢があまり違わないということもあったと思う。シニアではもうすぐ、大学が決まるころだったろうに。その場を逃げたということで、殺人犯とみなされることになった。

最高六年の懲役ということだが、問題はそれよりも負った心の傷ではないだろうか。近所の同じ年の子をもつ親が、同時刻に登校した娘の車の窓が夜からの露ですっかり曇っていたから、それで、見えなかったのではと言っていた。それが原因であってほしい。

誰も好んで事故を起こす人はいない。なぜ彼女は止まらなかったのか。止まれば、殺人罪にはならなかったのに。でもその気持ちがわからないのでもない。私達は皆、自分が何か悪い事をした時には、とっさに逃げたくなるのではないだろうか。もしかして、誰にも知られることはないのではないかと、という気持ちが一瞬たりともよぎらないだろうか。

聖書の創世記にはすでにそのことが出ている。禁断の木の実を食べ、罪を犯した人間は神様から、逃げようとした。それが、人間の習性ではないだろうか。たとえば、他人が大事にしている物を、壊した時など、黙っていてもわからないのではという声がささやく。自分の過ちを素直に認めて、謝ることができる、勇気をもつ人間でありたいが。

先日、嵐の日、暗くなってから勤めから帰った夫が、「もしかしたら、鹿を轢いたかもしれないから、もう一度見てくる」と言って出ていった。「そうだったら、すぐアニマルコントロールオフィサーに電話をしなきゃだめよ」と私は叫んだ。夫はすぐ帰ってきて、「よかった。ちょっとぶつかっただけかもしれない。もういなかった」急に目の前に鹿が飛び出してきたのだという。

私達はいつどんな事故にかかわるかもしれないが、逃げないで、受けとめなければならない。けれど、十六歳で運転免許を取得した子供達が、それだけの重みを知っているだろうか。このことを彼らに教育する必要がある。あの女の子も暖かい家庭で、今まで、すくすくと育ち、このことがなかったら、輝かしい未来が待っていただろうに。

息子の事件

私は息子の事件を思い出した。中学の卒業式も近づいたある日、私は急に校長先生から電話で呼ばれた。学校に着くと、パトカーが何台も停まっていた。重い気持ちで、校長室に入ると、校長先生、ポリスマンが息子を前に待っていた。

聞けば、学校中を巻き添えにするいたずらをしたのだそうだ。そのいたずらが警察沙汰になって “こと”の大きさに慄いた息子は、黙っていればわからないことだったが、校長室に赴いて自白したのだそうだ。

制裁は、何日かの自宅謹慎、コミュニティサービス、カウンセラーにつくこと、答辞を読む候補になっていたにもかかわらず卒業式出席禁止という厳しいものだった。

あの時の前途真っ暗な気持ちは忘れられない。信頼していたわが子だったのに、深い失望と悲しみに落とされた。情けなかった。自分の母親としての責任も感じた。けれどあの時、あの子がそのことをうやむやにして、自首していなかったら、その罪の重さをずっと心にひきずっていて、今の彼はなかっただろう。

亡くなった作家の三浦綾子さんのエピソードに次ぎのようなのがある。秘書の宮嶋さんが、間違って、彼女の原稿をストーブの焚き付けに使ってしまったことに気が付いて、それを謝った時、綾子さんはそれを咎めるどころか、謝った彼女のその勇気をほめたという。

私達も子供に対してこういう姿勢で臨むべきだろう。あの時、私は事件について自首した息子の勇気を誉めてあげなかったことに今気づいた。そこで、ニューヨークの大学に行っている息子に「You were brave」というタイトルでeメールした。

「あなたが、中学で引き起こした事件の時、自首した態度はすごく勇気がいることだったと思う。あの時、あんまり悲しくて、誉めてあげなかったと思うから、今言うけど、潔く自首した勇気ある息子を誇りに思うよ」

間違えを犯すのが人間であること、でもそれに向き合う勇気をもつべきことを子供に伝えていきたいし、自分自身も常にそうでありたい。

息子にeメールしているうちに落ち込んでいた私はまたもとのハッピーな私になっていた。

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One Reply to “逃走”

  1. さすが李先生と貴女の息子さん。きちんと告白されたのですね。
    そんな大騒動になったいたずらはどんなことだったかな・・・。
    息子さんもそんな大騒動になるとは思いもせず、軽い気持ちでされたのでしょう。
    そんな凄いいたずらをされるとは、さすがお二人の息子さん・・・
    あっ、違うちがう・・・。
        ミジンコ

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