たとえ明日、コロナで世界が終わるとしても、今日私は柿の木を植える

念願の柿の木

私が異常に柿が好きなことはこの欄でかなり書いてきました。アメリカに住んでいながら、毎年、私が柿好きな事を知っていて、自分の家に柿がある多くの友人知人から、時には、うなされるのではないかと思うくらい大量の柿が手に入るので、一回だけ植えようとしたことがありましたが、過保護にしすぎて殺してしまい、それ以来、植えようと思ったことはありませんでした。

けれど、2年前に引っ越した家には庭にちょうど木を植えるのに良い場所がありました。そこで、いままでは、“柿は買う物ではなく他人(ひと)様からいただくものだ”という観念をくつがえして、植えてみよう、ということになりました。

昨年、柿のシーズンが終わりになるころ、近くのナースリー(植木屋さん)に問い合わせところ、すでに売り切れていました。

そこで凝り性の夫がいろいろウエブで調べた結果、それ程遠くない(車で20分くらい)ナースリーで、1月に他州から仕入れ、それをベアルート(裸の根)のまま売ってくれることが判明しました。それに堆肥を加えて植え直すと値段が高くなるので、1月に連絡をくれるということでした。

柿の木を買いに

1月に入り、そのナースリーから苗が入ったとの知らせがありました。早速でかけました。

山越え、野越え、フリーウエイを降りるとすぐ広大なナースリーがありました。そして何本かの柿と対面したのです。

かなり大きいです。みな富有柿です。今カリフォルニアでは、昔なかった富有柿が富士リンゴとともにかなりポピュラーになっています。

乗っていったミニバンに横にして、かろうじて入るくらいのかなり背の高い木を選びました。

さて今度は成功するでしょうか。ガーディナー(植木屋)さんに植えてもらおうと思うので、今は、植木鉢に入ったまま植える場所に置いてあります。

この柿の木は何年経っているのか、わかりませんが、すでに私の背より高いでし、すでに接ぎ木がしてなるので、 実がなるのに8年待つことはないと思います。

「LED使い切るまでない寿命」

先日出逢ったシニア川柳の中に「LED 使い切るまでない寿命」というのがあって、はっとしましたが、今、植えてから、私達はこの木の実がなるまで生きているでしょうか。

米国育ちの子供も、孫も柿は好きではありません。こうなったら、少なくとも私達は頑張って、初なりの柿の実を見るまで生きていなくては。

ルターが言った言葉ではないのに、ルターが言ったとされている「たとえ、明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの木を植える」と同じに、「たとえ、明日コロナで世界が終わるとしても、私は今日柿の木を植える」というところでしょう。そして今度は私が知人友人におすそ分けできますように。

「受けるよりも与えるほうが幸いである」の喜びを味あうことになるでしょう。取らぬ狸の皮算用ですが、そのくらい大量に実るという夢をもって。

竹下 弘美


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“たとえ明日、コロナで世界が終わるとしても、今日私は柿の木を植える” への4件の返信

  1. ミミさん、
    美味しい富有柿がとれるようになったら私にもお裾分けして下さいね。😉😋

  2. 私も 仲間にしてね♪
    15年か 柿 買った事なく
    我が家の柿が1番とお裾分けしていましたが アパートに引っ越して買う側になりました

    1. みな さん

      私と反対で、与える喜びを味わっていらしたのですね。
      これからは受ける喜びを

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