海からの贈物(アン・モロウ・リンドバーグ著)から教えられること

久しぶりのヘアカット

カリフォルニアでようやく美容院や床屋さんが再開されて、見苦しくなった髪を切りにいくことができました。着いたら、お店の前のコンクリートを消毒中でした。

そして、お店の中には4つステーションがあるのですが、2つしか空いていませんでした。ソーシャルディスタンスのために規定で多くのお客をとってはいけないためでしょう。

ステーションは厳重にビニールシートで仕切られていました。それまで3か月もの閉鎖期間、場所代の支払いがあるのに、収入がなくてさぞ、大変だったと察します。

しかもここはヘアカットも上手なのに手頃な値段で駐車代まで出しくれるのです。ヘアカットして良い気持ちになって帰りましたが、今週から、また感染者の増大のため、閉鎖になってしまいました。

まずい過去

ヘアサロンが閉鎖の場合、器用な方々はご夫婦で髪を切りあったりされているようですが、私達にはまずい過去(?)があるのです。

アメリカに来たてのころ、貧しかったので、夫の髪は私が切りました。自慢できるほど不器用な私です。

しばし夫の頭に穴をつくり、その度に「Sue (訴える)するよ」と夫に言われました。

夫は私と違って器用なのですが、きちんとした性格です。私に市販のパーマ液でパーマをかけてくれたのですが、あまりにもきちんとするので、巻いた髪一本、はみ出すとやり直すような具合で、長く時間がかかりすぎ、一回は私の髪はライオンの鬣(たてがみ)のようになったことがあります。

ですから、この度、またヘアサロンが閉店しましたが、お店が開くのを待つ方がお互いのためのようです。

日の出貝の奇跡

まずい過去も、今思えば新婚のころの甘い思い出です。そのころは、訴えると言われても夫の髪を切り、夫が歯医者さんに行くのに、用もない私もついて行ったりしたものです。

もちろん、子供がいなかったこともありますが、今の私達はどうでしょう?

私が大好きな本にリンドバーグ夫人が書いた「Gift from the Sea(海からの贈物)」があります。

これは、あの「翼よ、あれがパリの灯だ」を書いた、初めて大西洋を飛行機で横断したリンドバーグ氏の奥さんの本です。

海辺で見つけた種々の貝から、女性の問題をいろいろとりあげている、とてもインテレクチャルなまた含蓄のある内容の本です。

その中の一つに「日の出貝」の項があります。この項は、いわば黄昏の時期の夫婦に向かっての内容です。

日の出貝は蝶の羽のように両面が正確に対をなして、完全に融合して美しく、でも、触るだけで壊れそうな、すぐ押しつぶされそうな貝だそうです。

これは結婚当初のことですね。ところがこの日の出貝のような完全に癒合している二人でも、結婚生活が長くなると、実際にはなかなかそう続かないものです。年月が経ち、この二枚の貝がぴったり合わずにずれていきます。

でもそれは「そのもとの姿は、失われるのではなく、ただ生活上の夾雑(きょうざつ)物の下に埋められているにすぎない(吉田健一訳)」とアン女史は言っています。

元の姿は失われているのではなく、元に戻れるのだと言っているのです。

そして、この新婚当時の二人に戻るためには、夫も妻も一人で旅に出たり、また他の人に邪魔されない二人だけの時間を持ってリフレッシュすること、それがいつものキッチンのテーブルでも良いから、朝食を二人だけで共にすることで、蘇ると言っています。

ご馳走でなくてもいつものメニューで良く、ただ子供や友達と一緒ではなく、日常のことを忘れて、二人だけの時間を持つことによって、長年の間、ほかのことで埋もれていた二人の関係が戻ってくる、と言うのです。

シニアタイムのコーヒーショップに行くと、シニアの夫婦がパンケーキを食べています。

たいてい、黙々と二人とも一言も交わさず、みつめあうこともなく、食べ続けています。これで、日の出貝の奇跡が起こるでしょうか?・・・

「それで良いんじゃない?無理する必要ないよ」と夫はつぶやきました。

竹下弘美


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“海からの贈物(アン・モロウ・リンドバーグ著)から教えられること” への2件の返信

  1. ご主人の言われる様に僕も“それでいいんじゃない”組ですが、弘美さんのストーリーはいつも僕の忘却の彼方に消え去っていた情景をふと思い出させてくれるので楽しみです。今回も“ 翼よあれが巴里の灯だ”は少年の頃、母と連れだって有楽町の映画館で観た感激の映画の一つです。ついでのはなしですが母は私を連れて当時住んでいた麴町の家から銀座に買い物に行ったものです。ぼくは女の買い物は長いので閉口したものですが、母は買い物が終わると更科で蕎麦を食べ(僕は蕎麦が嫌いなので天丼を食べましたが)母に付き合う交換条件は蕎麦を食べた後三越の裏にあった老舗のおしるこ屋さんか、松坂屋の向かえにあった立田野であんみつをごちそうしてもらうことでした。甘いものが好きな僕はひとりで若い女の子達が集うモダンな店には恥ずかしくて入れないので昔からある、古いおしるこ屋、例えば、東大の赤門の近くで老夫婦が営むお店に通ったものでした。だからその頃から,糖尿病になる準備をしてたんですね!呉服

    1. 呉服どの

      お母上との情景がとても美しく浮かび上がるお便りありがとうございました。

      きっとお母上は綺麗な方だったのでしょうね。

      また聞かせてくださいね。

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