毎朝九時に朝食を―妻が自分をわからなくても

ケアホームのSさん

ある時期、教会の帰りにケアホームに寄ることが、私達夫婦の毎日曜日のルーティーンになっていたことがある。知り合いのSさんが、そこに入居していたからだ。それは彼女が亡くなるまで続いた。

入居当時、まだ八十歳になったばかりのSさんは、色白で白髪の美しい上品な方だったが、半身不随となって車椅子生活になってしまった。そのような状態でも受け入れてくれる日系ケアホームを探したところ、十二名収容しているこのホームが見つかり、入居できた次第だ。

そのケアホームは大きな六寝室の部屋のある家で、ドアにはいつも厳重に鍵がかかっていた。後でわかったが、徘徊する入居者がいるためだそうだ。 一部屋に二人ずつで、こざっぱりといつも清潔に整えられている。その上、季節に応じて、部屋に飾りがしてあるのも感心する。春には桜の木のバックグラウンドが、また七夕の時には、ちゃんと笹が入口に用意されていた。壁には千羽鶴でできた日本的なデコレーションがされているし、お花もいつも生き生きと活けられている。

入ると右手にリビングルームがあり、そこに大きなスクリーンのテレビがある。たいてい皆そこで、椅子に座ってジャパンTVのプログラムを観ている。いや、観ているというよりも、ただ眺めていると言った方が良いだろうか。まともなのはSさんぐらいで、後の方々はなんだか、もうこの世の人ではない感じだ。

一人はいつも歩き回っては座り、口で「ブー」とおならの音をさせて立ちあがり、また違う所に行って座り、「ブー」と音を立て、移動することしきり。顔には表情がない。まだ七十代ではないだろうか。大きな熊のぬいぐるみをいつも抱いて座っていて、少しでもそれを従業員がいじったりすると、「That’s mine.」と言い、また「I wanna go home」と言い続けるおばあさんもいる。

日本語ではなく英語が口から出るということは、こちら生まれの日系の方なのだろう。この方は車椅子だ。後は口を開けっぱなしでのけぞり、心はもうこの世に無いかのように見えるおばあさん、おじいさん。それでも女性が圧倒的に多い。Sさんがまともに会話ができる同居者はいないようだ。

この死んでいるかのようなケアホームの雰囲気を活気づけているのは元気の良い若い働き人達だ。現地採用の中年の方々に混じって二十代の若者が青年も含めて何人か甲斐甲斐しく働いている。訊けば、日本からの研修生だという。北海道の看護学校と提携していて、二年交代で生徒が研修に遣わされるのだという。

女性の若い方達もにこにこしていて、美しい。一人いる青年もいつもにこやかだ。一人の老人を車椅子からふつうの椅子に移す時、彼は叩かれていたが、怒るどころか、そのままされるままになっていた。きっといつもそうなのだろう。よほどの使命感がなければやっていけない仕事だ。

毎週訪ねていたが、他の入居者を訪ねて来ている人に会ったことがない。Sさんには娘さんと息子さんがいるが、息子さんは日本。娘さんは近くにいるが、一回も面会に来たことがないそうだ。前から冷たい娘だとは言っていたが。

そのかわり、教会の友人達がしょっちゅう訪ねて来ていたから、幸せだ。訪問者達は、マッサージをしてあげたり、爪を切ってあげたり、病院の検診や歯の治療に連れて行ってあげたり、彼女の手となり、足となってあげていた。

私といえば、庭の花を活けて持って行くか、花より団子のSさんに食べ物を持って行き、話相手になったくらいしか、能がない。それでも
「すみませんねえ、お忙しいところを」
と彼女はいつも喜んでくれた。たまには日本的に整えられた庭を車椅子で、散策した。

お食事が日本食であることはありがたいことだろうが、お寿司を持って行ったら時には、しばらく食べていないと、とても喜んだ。片手が不自由なこともあって、手でつまんで、がつがつと食べる。その時にはあのSさんの上品さは消える。

Sさんに食べ物を持って行くと、テレビを眺めている死んだような人達の目が、一斉に集まるので、なるべく、隠して持って行き、Sさんを別の場所に移して、食べてもらうようにしていた。体重を増やすのは良くないので、本当はホームとしては歓迎していないことだと思ったが、Sさんの喜ぶ顔を思うと、やめられなかった。

こんなことしかできない私だが、Sさんは会いに来てくれる人達が、心の支えになっていると言っていた。

奥さんはアルツハイマー

いつか次のような話を読んだことがある。

「ある朝の八時半ごろ、八十代のおじいさんが、怪我をした指の抜糸に私が働いていた病院に来ました。彼はそわそわと急いでいて、九時に朝食の約束があると言いました。彼は老人ホームにいる奥さんと朝食をするのだそうです。

職業がら、『奥さんの健康はいかが?』と訊ねると、彼女はアルツハイマーだというではありませんか。『それでは奥さんは約束に遅れてもわからないでしょうに』と言うと、それどころか、ご主人のこともすでに誰かわからなくなっているというではありませんか。

『それでも毎朝彼女のところに行くの?』と驚いて訊く私の手を彼は軽く叩きながら、『妻は私のことはわからないけれど、私はまだ彼女が私の妻だとちゃんとわかるんでね』と答えると、にこやかに微笑して足早に診察室を出て行きました。」

たとえ奥さんがご主人のことをご主人だとはわからなくても、毎朝、朝食に出かけて行くご主人の姿は限りなく麗しい。

この奥さんは世界で一番幸せな人なのではないだろうか。

私の夫や子供達は、私がケアホームに入ったら、訪ねてくれるだろうか。アルツハイマーになっても毎朝、朝食を共にしてくれるだろうか。そんなことを想像すると楽しくさえなってくる。でもアルツハイマーになったら、そんなこともわからなくなるのだ。

竹下弘美

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