平凡な事の中にきらきら光る事や、人の優しさに涙したりする事がある

星野富弘さんの詩

「今日も一つ 悲しい事があった。今日もまた一つ 嬉しい事があった。笑ったり泣いたり、 望んだり諦めたり、 憎んだり愛したり・・・そしてこれらの一つひとつを柔らかく包んでくれた、数えきれないほどたくさんの平凡な事があった」

私が大好きな星野富弘さんの詩である。平凡な事の中にきらきら光る事や、人の優しさに涙したりする事がある。そしてそれが私達の一生を形作る。そんな平凡な事が私の思い出の宝箱の中にいっぱい入っている。

新学期

この頃は八月の末から始まる所もあるが、九月は新学期が始まる月。学校の始まるその日は、毎年、二人の子供達が登校する直前に、家の前で写真を撮ることを恒例行事にしていた。オレンジカウンティにいた頃の写真を見ると、二人の子供は真っ黒だ。夏中、毎日泳ぎまくっていたせいだ。

娘も息子もコミュニティの競泳チームに入っていて、六歳の頃から、朝はその練習、その後も家のプールに浸りきって毎日プール三昧だった。二十三か月違いの娘と息子二人は、日が暮れるまで飽きずに水と戯れていたものだ。手は水でふやけてシワシワになっていた。

北カリフォルニアに引っ越してからは、新学期の校庭は針葉樹の匂いが満ち満ちて、秋を感じた。夏休み中、周りの人々は子供をキャンプやいわゆる塾のようなものに行かせ、勉学中心の日本のようだった。

遊びまくっていた南カリフォルニアの夏とは大違いだった。南にいた頃は、新学期が始まる頃に娘が「掛け算を忘れた」と言ったのには驚いた。あまりに長い夏休みだったからだろう。それに輪をかけて驚いたのは夫の言葉だ。

「それはすごい。それだけ遊んだ証拠だ。いいなー」さすが、勉強は身体に悪いと信じていた夫だけある。

キンダーガーデン初日

息子がキンダ―ガーデンに入った初日の事は忘れられない。オレンジカウンティはまだ暑かった。息子は半ズボン姿で近所の公立学校まで私と一緒に歩いて行った。ほかの父兄も子供の手をひき、ぞろぞろと教室の前に集まっていた。

受け持ちの先生が出て来て、一人ひとりの名前を呼び、みな親と別れたがらない様子で、親達の心配そうな眼差しの中、教室に入って行った。家に帰ったと思ったら、すぐ十一時半になって、私立校に行っていたがためにまだ学校が始まっていなかった娘と一緒に息子を迎えに行った。

一人ひとり出て来て親元に走って来る。息子はなかなか出て来なかった。やっと出て来たと思ったら、悲しそうな顔をしているではないか。
「どうしたの?」と日本語で訊ねるやいなや、みるみる顔が崩れていった。 

息子は片手を目にあててこすりながら、「It was too long」そして、声を出して泣き出した。たった三時間の短い時間だったのに。

「お姉ちゃんもそうだったから大丈夫よ」と娘が弟を慰めていた。いつもの喧嘩はどこへやら、やはり姉弟だ。手をつないで家に向かった。途中公園を通った。公園の途中で、息子は「My feet are broken」と座り込んでしまった。娘には泣き事も言わせず厳しく育てたのに、二番目になるとどうも甘くなる。どうしてこんなに根性がないのか。

就学を遅くする事

八月末で五歳になった息子を、娘と同じクリスチャンスクールに行かせようと受験させた時に、面接した先生から、
「もし私がお宅の息子さんの母親だったら、後一年待たせますけど。必死でみんなの後をついて行くのではなく、一年待たせると、クラスの中で年長になりますから、リーダーシップをとってゆうゆうと学校生活ができますよ。もちろん決断は親御さん次第ですけど」と言われた。

一年遅らせるなどという事は、日本で育った私達には考えられない事だった。当時プリスクールの懇談会で話されていたことはキンダーガーデンの入学について男の子は成長が遅いから、七月以降に生まれた男の子は(法的には十二月生まれまで入学できるのだが)一年遅らせた方が良いという話が盛んにされていた。日本でいう早生まれだ。

遅らせる事によってハイスクールの時には、運転免許取得もクラスの中でいち早くでき、すべてが幸いして、自信ある子になると言われていたが、遅らせるなどという事はできないと思った。

それではまず、公立の小学校に行かせてみようと入学させたわけだ。第一日目だけだろうと思っていたが、その後もクラスに私がボランティアに行く時など、息子は私の顔を見ると、「家に帰る」と言い出す始末。やはり、一年早かったのかもしれない。

そこで、そのキンダーガーデンに一年行かせたが、翌年もう一度娘が通っていた私立の小学校のキンダーガーデンに入りなおす事にした。つまりキンダーガーデンを二度経験したわけだ。

その後はあのキンダーガーデンの懇談会で言われたように、小学校、中学、高校とゆうゆうと過ごせ、どこにおいてもリーダーシップをとるようになった。そして一年遅らせた分、大学を半年早く卒業してくれた。早く早くと周りにあわせて人生をあくせくすることはない。就学年はあくまでもガイドラインでその子のreadiness(成熟度)に合わせるべきだろう。

新学期を迎える九月。ドアの前に並んで写真を撮った娘はもう二人の子供の母親になり、彼女の息子は今年一年生になった。先日、学校が始まる日、やはり自宅のドアの前で写真を撮っていた。

かつて「My feet are broken」としゃがみこんだ私の息子は、先日ニューヨークに訪ねた際、私よりもずっと速いスピードで歩き、しばしば立ち止まっては、私を待ってくれた。

子供の成長は早い。夢中で子育てをしていた頃、いつも言われていたことを思い出す。

「今、子育てをエンジョイしなさいよ。すぐ子供は大きくなってしまうから」

竹下弘美

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One Reply to “平凡な事の中にきらきら光る事や、人の優しさに涙したりする事がある”

  1. 本当に、、、子供達の事を思い出すのは 幼い時の彼らの顔や
    話した言葉です。そして その時期はアッと言う間に過ぎていきます。

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