姑は怖くない

采配を振るう女主人

姑が眠るように亡くなった。本当にすっと天国に逝ってしまった。その穏やかな美しい死に顔を見て、若い日の私はどうして、彼女をあれほどまでに恐れたのかと不思議に思えた。

だいたい血液型がO型の私は誰とでもうまくやっていける自信があった。彼女、姑に会うまでは。美しかったが故にちやほやされてすごした彼女は自己中心のかたまりであった。私が言うと、単なる嫁姑の関係と思われる懸念があるが、このことは彼女の子供達五人がよく知っている。

夫の言葉を借りれば、子供心に母親が通るとサっと冷たい風がよぎったという。どの人も彼女の目を怖がった。いわゆる私達の描く日本の温かい母親像ではなく、家をきりもりする、支配者としての女主人の才覚を持った女性であった。

夫は一度も母親に抱かれた思い出がないという。彼の幼少期はおつきの者と別部屋で、一人のお膳で長男として、かしずかれてご飯を食べさせられるというような生活だったとのこと。それは彼の家が韓国の両班という家柄であったことによるが。ある日、幼い夫の目は恐ろしい情景を捉えた。

母親が銀の食器を盗んだという嫌疑のもとにある女召使を鞭で打たせている姿だった。彼女の目に狂いはなかった。その幼い召使の部屋から、銀器はみつかった。立場上、彼女はそうせざるをえなかったのであろうし、またそのように采配をふるう能力が備わった女性だったわけだ。

温厚な義父が韓国の政界で出世できたのも一重に義母の内助の功によったというのは息子である夫の弁。

私が最初に彼女に会ったのは大学生の時だ。ただ友人として紹介されたのに韓国式に腕を抱えて暖かく迎えてくれ、その時は彼からきいていた怖いイメージはなかった。着ていたドレスと同じ布でできたハイヒールをはいて、スタイルの良い彼女はさすが外交官夫人という雰囲気をもっていた。

もう日本に移住してから、何年もたっていたわけだが、そのするどい目つきだけは変わっていなかった。

クリスチャンになるきっかけ

それから何年かして夫と結婚することになった。だいたい、韓国人の長男が日本人と結婚するなどということはとんでもないことであった。それができたのは、親とか家を客観的に見ることのできた夫故だと思うし、すでに父親が亡くなっていたせいかもしれない。

ようやく両家を説得して、結婚。私達はアメリカに来てしまい、「わがままだから、できるだけ日本で一人暮らしをする」と宣言した義母とは年中、接する機会があったわけではないが、彼女が来米するというと、私の心は騒いだ。怖かった。彼女の五人の子供のうち、四入はアメリカにいる。その四ヵ所の家族の所に滞在するたびにどこでもいやな思いを残していくのが彼女だったからだ。

自分の思う通りにいかないと機嫌を悪くするので、まるで、腫れ物にさわるような存在だった。それはそれまでの環境が彼女の思いのままになるものであったから仕方がないのだが。 私達はよく喧嘩をした。私が良いと思ってしたことを彼女はセルフィッシュな理由から、けなす。それを陰で言うのではなく、面と向かっていうから、良いとも言えるが、背中から、冷や水をぶっかけられる想いだ。 

私はその時に自分の中に起こってくる憎しみの心が許せなかった。相手が良ければ、自分も良い心でいられる。でも彼女の出方によってどうにでも心が煮え繰り返るようになる自分。それがきっかけでその思いに決別したくてクリスチャンになった。

それでも彼女への怖れは消えなかった。二人の子供が生まれる前の晩、初めから帝王切開と決まっていたので、入院した。翌朝、帝王切開ということになっていた。一人だけになった病室の夜のしじまで、私は自分が二人の子の親になるというのにこの義母に対する憎しみの心、恐れの心を処置しなければその資格がないような気がした。何気なく繰った聖書の言葉に吸い付けられた。「完全な愛は恐れを取り除く」とあった。

そうだ、私は彼女をいつも恐れていたのだ。彼女への愛がなかったからなのだ。そのことに気づくとなんだか、安心して、翌朝の帝王切開に臨んだ。そして、それから、私は変わった。義母に対して自分が、良い嫁でいようと繕っていたことに気づいたのだ。

そして、そんな私の態度に義母も変わっていった。彼女は日本にいる娘に「今度、アメリカの四家族の中で、喧嘩しなったのはこの子(私のこと)の所だけよ。」と言っているではないか。私は何を怖れていたのだろう。私の中で、彼女への愛が芽生えたのだ。そして、良い関係が続いた。八十六歳で骨折をしたのを機会にすでにリタイヤしたSFの義姉夫婦が彼女をひきとった。けれど絶えず義母と義姉とはトラブル続きだった。

その度に私の所でひきとった。大腿骨骨折をした時には私が病院に行かなければ、彼女はリハビリを拒否するくらいだった。そして、退院後は我が家で面倒を看た。驚くことに私が彼女の下の世話をすることになった。夜中にトイレに行くのも自分では起き上がれないから、彼女のベッドの横で、寝た。その私を見て、義母はいたく恐縮して感謝していた。昔の私達の関係からは考えられないことであった。 

亡くなる時、心から、「天国で会えるからね」と言えた。姑は怖くない。愛さえもっていれば。

竹下弘美

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