今の春があるのは、あの厳しかった冬があったから

かつてない誕生日

ニューヨークにいる息子のところに夫とバケーションにでかけた。ちょうど翌日は私の誕生日だった。何回目の誕生日だったかは言うまい。その日は眠りたいだけ寝て、何もしないでいようと決めた。いつもの私は自分で予定を作ってそれに縛られ、追いまくられるから、そのような状態から、たまには自分を解放したかった。

息子が出かけてから、夫は起きたようだったが、私は息子の上等なベッドで寝なおして良いという許可をもらい、もちろん西海岸と三時間の時差があるからともいえるが、こんこんと寝た。心地よく天国のようだ。ちょうどコロノスコピー(大腸内視鏡検査)の際、全身麻酔をかけられて快い眠りに落ちいったその時と同じような天国経験だった。

途中で息子の猫がベッドに飛び乗って来て、私の手を舐め、息子の手の味とは違うと気が付いたらしく降りたが、あまり私が長く寝ていたからだろう、また登って来たのをかすかに覚えている。猫と一緒に寝ることができるとは、私にとって最高の誕生日だ。

お昼の十二時に目が覚めた。いままでの何十年かの生涯の疲れ、すべてがとれたようだった。あえて、メールも見ないでおこう、また何も計画をたてないようにしようと決めた。日常性から脱皮したかった。息子が夜遅くなるので、夕飯は一緒にできないと言っていたので、夫と近所にお惣菜を買いに出た。カリフォルニアとは違って徒歩での外出だ、

レンガ造りのアパートを出ると、横にはすぐバスケットコートが建物に隣接してあり、またそれが子供のちいさな遊び場の公園に続く。カリフォルニアのように広々とした敷地ではなく建物と建物の間にできている。八重桜や枝垂れ桜がちょうど満開で、地面には三色すみれが咲き誇ってまさに春爛漫。

同じ日に生まれた友人から「私達は春爛漫の美しい時に生まれたのですね」というカードが来ていたのを思い出す。姉からのカードにも「私が五歳の時、甲府のおばあちゃんのところで、貴女が生まれたその日を覚えています。春の麗しい日でした」と書かれていた。

寒い冬を越してきたが故の春、カリフォルニアにはない、春の謳歌だ。この春の景色を愛でていたら、今まで生かされてきたことの感謝がふっと沸いてきた。苦労や悲しみの寒い冬もあった。そして、自分の力で生きてきたように思うけれど、決してそうではなかったこと、今までのいくつかのことが思い出されてきた。

夫との結婚と渡米

夫との結婚を決めた時の周りの反対と、夫の国籍故に日本で彼は就職できずに日本を脱出しなければならなかったこと。
二人で貯めた二千ドルだけを手に渡米し、夫はバスボーイ(レストランでウェイトレスがしない、食事の後のお皿を集める仕事)を、私はホテルの宴会場でのウェイトレスをしながら、英語を学んだあの日々。

とくに思い出されたのは、それまでいたサンディエゴからロサンゼルスに出て、夫がコンピュータの専門学校に入った時のことだ。生活をささえなければならないために仕事探しをし、やっとボーリング場内のコーヒーショップで、雇ってくれることになった。

ところがメニューには多くのものがリストされていて、来米一年の私にはその英語のメニューがわからなかった。聞き返してもわからずに指でメニューを指してもらった。お客がいなくても座ってはいけないこと、カウンターを拭いたり、仕事をし続けるように言われ、八時間働いた後は足が棒のようになった。

それでもチップの入っているエプロンのポケットはどんどんふくれあがっていった。そのころコーヒーはたったの十セントだったから、たぶんチップは多くて五セントくらいだったと思うのに、その夜、家に帰ってポケットの中のお金を勘定したら、十五ドルくらいになっていて、ほくそ笑んだ。

次の日もそのチップが魅力だった。帰って来て、夫と電灯の下でコインを数えた。まるで守銭奴のような姿だった。ところが三日目に仕事に出向くとオーナーが言いにくそうに

「経験者が来たので、あなたは、自宅待機していてください。また電話します」

と、私に告げた。それが、態のよい断りであるとは知らずに、我が家の電話は留守電の装置がなかったので、毎日外出せずに電話の前に座って、向こうからの電話をひたすら待っていた。一週間電話の前に座り続けて、ついにそれが断りの言葉だったのだと気付いた。

その後、夫が学校を卒業し、就職して永住権を申請した結果、ちょうど不況にぶつかり、デポテーション(国外退去命令)を受けて夫は韓国へ、私は日本に帰るようにと言う知らせをもらった。途方に暮れていた時に、助けてくれた韓国人牧師夫妻の愛、その結果この国にいられるようになったこと、結婚十二年で子供が与えられたこと、夫の失業、といろいろなことがあった。もうずいぶん長く生きたような気がする。

沢田研二の歌

古いけれど、ちょうど沢田研二が歌った「いくつかの場面」のようだ。

「悲しかったこと、つらかったこと、いろいろなことがあったけれど、それは私にしか経験のできなかった私の宝です」と言っていた友人がいた。今の春があるのはあの冬があったからだろう。桜も寒さを通らなければ開花しないということを今年初めて知った。

「厳しい冬があったからこそ、私達は遅咲きのようです」 あと一人の同じ日(四月八日)の誕生日の友人からの言葉だ。

今から、狂い咲きではなく、ちゃんと遅咲きでひと花咲かせるか。

竹下弘美

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2 Replies to “今の春があるのは、あの厳しかった冬があったから”

  1. 登茂子さま

    みなさん、そうですよね。なにかしらの冬を通ってきたわけで。

    今、毎日を存分に生きましょう!

    またお眼にかかるまでお元気で。

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