人は誰も傷跡を持っている。肉体の傷のこともあるし、心の傷のときもある。 

足の痛み

急に左足の膝の下あたりが痛くなった。階段が下りられない。どこといってはっきり痛い個所がわからないのだが、寝ている時でも痛かった。ついに神経痛になったのか、と思った。あの小さい時、手術した筋炎という腫瘍の時の痛みに似ているような気がした。

ドクターに行くと、もしかしたら、今度変えたコレステロールの薬の副作用かもしれないとも言われたが、結局、英語でいうtendonitis(テンダナイティス)だとわかった。腱の炎症だという。いつも使わない筋肉を使うと骨に直接ついている、腱の部分が炎症を起こすことがあるのだそうだ。

そういえば、日本から帰ってくる飛行機の中でエコノミー症候群になるのがいやで、私は左肢を時々抱えて、不自然な姿勢をしていた。そのせいだろうか。

ドクターは、まず、炎症止めのお薬を飲み、それが効かなかったら、次の段階で注射をしましょうと言う。飲み薬は副作用のこともあって好きではないので、先に注射をすることはできないかと訊いた。私は小さい時から注射好きなのだ。彼は驚いたが、曲げた時に痛む個所を診て私が指摘する場所に注射を打ってくれた。かなり、痛い注射らしくて、その注射をするために、麻酔をかけたくらいだ。

五歳のときの筋炎

昔のことを思い出した。あの時は麻酔をせずに手術された。あれは五歳の時のことだ。食事の用意をしている母のお料理を見ようと、幼い私は背が足りないので糠味噌の樽の上に載って、流し台をのぞいたことがあった。

その時古くなっていた糠味噌の板の蓋が割れ、私の左肢はその中に見事にのめりこんだ。その直後、その左肢が痛くなってびっこを引くようになった。はじめのうちは糠味噌に落ちたからだと、冗談を言っていたのだが、痛みが激しくなり、冗談ではなくなった。

ある日、両親から禁じられていた紙芝居をこっそり見に行った。ところが、左肢が痛くて座ることができない。後ろにいた男の子から、「座れ」と言われたのに痛すぎて座れず、泣きながら家に帰った。禁じられていた紙芝居を見に行った罰だろうか、とさえ思った。あまり痛がるので、これはただごとではないとその夜、父と母は私を病院に連れて行ってくれた。真夏の夜だった。

医者が電灯の下で光るナイフをもって私に笑いかけた。怖かった。大きくなってから聞いたところによると、その医者はかつて第二次大戦の時には軍医さんだったそうで、戦後のそのころ、麻酔薬は貴重であったこと、また、麻酔を使わない方が治りが早いということで、麻酔を使わずに、私の筋肉の中にできた腫れ物をえぐりとったのだ。父と母、看護婦さんが私の身体を押さえつけていたが、あまりの痛さに私はのたうちまわった。

幼かったがその恐怖にあのシーンは今でも覚えている。冷房もない病室。暑さと痛さで、汗が玉のように出ていたと、後から、母に聞いた。原因はわからないが、筋肉の中に腫瘍ができる筋炎というものだそうで、一箇所だけでなく、身体のあちこちにできることから、通称七所腫れ物(ななとこばれもの)と呼ばれ、そのころ流行していたそうだ。「一箇所ですんで、ラッキーでしたね」と言われたくらいだ。実際、翌年、私の従姉はそれが背中にできた。

手術の後、毎日、傷口のガーゼを取り替えに病院に通わなければならなかった。もちろん、始めのころは私は歩けなかったから、父と母が交代で背負って通った。かなりの距離だった。今だったら、自動車やタクシーを使うだろうが、そんな贅沢は許されない時代だった。真夏で父も母も、背負われていた私がわかるくらい、背中は汗でびっしょりだった。私はその時に母の背から見えた松の木からのぞいた、まぶしい夏の太陽を覚えている。

またガーゼを取り替える時には、ガーゼが傷口にちょっとでも触ると飛び上がるほど痛かった。待合室で今日は痛くありませんようにと、願ったことも覚えている。

両親の愛の証のダイヤモンド

医者の言うように麻酔を使わなかったせいか、早く傷口が閉じた。けれど、左肢の膝から十センチくらい上にはダイヤモンド型のかなり大きな手術跡が残った。それは成長するにつれて、小さくなるのではなく、大きくなっていった。

今でもピンクの筋肉が見える。そのピンクの引き攣れた傷跡がつやつやしていることと、その形から、私と母はいつからか、ダイヤモンドと呼ぶようになった。いつもは見えないが、水着を着る時には見えてしまう。ちょうど、左手をそのまま降ろすと隠れるが、私は気にしない。むしろ、これを見る度に、あの父母の献身的な私への看護と、その愛情を思い出すからだ。

みかけがダイヤモンドだけではなく、本当に私のダイヤモンドは埋め込みダイヤモンド、しかも相当なキャラツトだ。人は誰でも傷跡をもっている。肉体の傷であることもあるし、心の傷のこともある。幸い、私のこの肉体の傷跡は、両親の愛の証なのだ。

今回の痛さはその後、また二回注射をしてもらってなんとか、治ってきた。手術の必要もない。神経痛でも筋炎でもなかった。今も健在で私の左腿で輝いている(?)私のダイヤモンド、それを見る度に両親の愛を思い出す。

竹下弘美

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