子供の頃の本との出会いは、根っこをくれ、翼をくれ大きな助けとなる

ようやく、憧れショパンの「ノクターン」のひとつが弾けるようになった。私にとってこの事は、奇跡に近い。と言ってもショパンの曲の中では一番難易度の低い、それでいて、素人受けする耳慣れた曲だ。昔の映画「愛情物語」のテーマ曲に使われたためかもしれない。

小さい頃、嫌々習わされていたピアノだったけれど、あまりにも美しい曲であるとともに、この曲にまつわる思い出があるので、いつかこれだけは弾けるようになりたいと思っていた。

富士子姉さまとの時間

小学校の低学年の頃、近所に大学生兄妹が引っ越して来た。お兄さんは慶応大学医学部の学生、妹さんの富士子さんは東京女子大に入学したばかりだった。自宅は千葉の津田沼の開業医で、富士子さんの通学に近いようにと吉祥寺の我が家の斜め前に引っ越して来たのだそうだ。

富士子さんは、にきびだらけだったけれど、髪はポニーテールでタイトスカートのすてきな大人の女性だった。富士子姉さまと呼んで、親しくなった。私には五歳年上の姉がいてとてもかわいがってくれていたが、富士子姉さまは姉よりもまたずっと年上で、大人の魅力があった。

家が斜め前だったから、富士子姉さまが帰宅した気配がすると、すぐ遊びに行った。今考えると彼女はたった十八歳でしかなかったのだ。

よく、キャベツ入りのクリームシチューをご馳走になった。初めてキャベツのおいしさを知った。またアイロンをかけながら、私に童話を話してくれた。

「ジャックと豆の木」「ヘンゼルとグレーテル」、中でもお得意はグリム童話の「ブレーメンの音楽隊」で、にわとりや、ろば、泥棒の声色を使って、何回聞いてもあきないように話してくれた。その合間にはピアノを弾いた。

「この曲は『暗い日曜日』っていうシャンソンなのよ、シャンソンって知ってる?」

富士子姉さまから初めてシャンソンというのは、フランスのポピュラー音楽だという事を教わった。「弘美ちゃんも今にこの意味がわかるわよ」

大人になって思うと、彼女はその頃失恋していたのかもしれない。そして、よくこの「ノクターン」を弾いていた。ピアノは我が家にも聞こえてきた。

彼女の家に金木犀の木があって、秋はその匂いがした。「ノクターン」を聞くと、今でもその匂いと「ブレーメンの音楽隊」や「ジャックと豆の木」の話を思い出す。ピアノの音は秋だけではなく、いつも聞こえて来ていたのに、私の思い出の中では、金木犀とノクターン、そして富士子姉さまの声色の童話の数々が結びついている。

医学生のお兄さんが、顕微鏡を覗いていた。そばにいた私にも覗かせてくれた。見えているのは回虫の卵だと言って幼い私を驚かせた。

このように周りに家族以外でかわいがってくれる人がいたというのは幸せな事だったと思う。それにお話をしてくれたというのは何にも代えられない事だった。富士子姉さまはそれだけの時間を私に費やしてくれたのだ。

私の場合

残念ながら、私が母親になって子供が小さい頃には「ノクターン」を弾いて聞かせる事はできなかったが、本を読むという事は心がけて来た。富士子姉さまとの良い思い出が自然にそうさせたのかもしれない。

毎晩寝る前のお祈りの後に二人の子供に添い寝をしながら、いろいろな本を読んだ。初めの頃は日本語の本だけだったが、子供が英語の世界に接し始めたプリスクールの頃には英語の本も読んで聞かせた。

私の怪しげなアクセントのある英語でも構わずに読んで聞かせた。幸い、まだ親の英語の発音を批判するまでになっていなかったので、平気だった。「Dr. Sue」の絵本の韻を踏むものは日本語の世界にはない面白さで親子ともども大好きだった。

「Green Eggs and Ham」「Cats In a Hat」など、何回同じ本を読んでもあきない不思議な魅力があった。途中で、子供が寝てしまうと、私はそっとかれらのベッドから抜け出したものだった。

成人した娘と息子にどの本が一番心に残っているか聞いてみた。福音館書店の絵本、「ぐりとぐら」「かみなりかあちゃん」「お風呂のはなし」などが思い出に残っているそうだ。

富士子姉さまとの思い出が私の人間形成の中で深く残っているのと同じように、本を読み聞かせた事は私の二人の子供の中にも親の愛のかけらとして、残っているようだ。

美智子上皇后さまの言葉

美智子上皇后さまは1998年のニューデリー国際児童図書評議会での基調講演、「子供の本を通しての平和」の中で、ご自分の子供の頃の本との出会いを次のように語っている。

「今振り返って、私にとり、子供時代の本との出会いは何だったのでしょう。なによりもそれは愉しみを与えてくれました。そしてその後に来る、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。それはある時には、根っこを与え、翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていく時に、大きな助けとなってくれました」

私の次の課題としては孫に、祖母として本を読んだり話をしたりする事だろう。でも英語の本は親に任せよう。そのぶん、私にできる事は「ノクターン」を弾く事か?でも、つっかえながらの祖母のノクターンを聴いてくれるだろうか。嫌がられるるかもしれない。

竹下弘美

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