シャンソン、ラ・ビ・アン・ローズ(バラ色の人生)
日本に帰る時にはよく、遠い親戚のシャンソン歌手、竹下ユキのライブに行きます。そこで、いつもリクエストして彼女に歌ってもらうのは、「ラ・ビ・アン・ローズ」。
エディット・ピアフだけでなく、ルイ・アームストロングやイブ・モンタンもこれを持ち歌としたシャンソンの有名な曲です。
「私の心をとらえた人との幸せな日々、互いのために生きて行こうと語った人よ」と恋に生きる女性を歌ったものですが、たぶん、恋人と一緒だった過去の日々を懐かしがっている曲でしょう。
失恋? でもこのタイトルが好きです。どの人もバラ色の人生を歩みたいと思っていることでしょう。
肺癌で亡くなったまさえさん
このごろ、周りで多くの知人友人が癌で亡くなっています。二人に一人が癌だという今日このごろです。
私達が初めて癌と闘っている方と接したのはもう30年以上も前のことになります。
教会でご主人が韓国人で娘さんが知恵遅れ、自分は肺癌で死期にある女性がいるということを聞き、夫が韓国人である私は親近感を持ち、私達二人は早速その方をお訪ねしました。
とてもすてきな30歳そこそこの魅力的な品のある方で、突然お訪ねした私達をこころよく迎えてくれたのは、知恵遅れの美沙ちゃん。
譜を見ないで、ピアノでいろいろ弾いてくれました。まさえさんのお父上は作曲家、灰田晴彦氏、彼が作詞作曲した曲を歌っていたのが叔父の灰田勝彦氏だそうです。
美沙ちゃんはその血を引いていたからかもしれません。
まさえさんは乳癌になりその後、肺癌が発見され、その直後にご主人が心臓麻痺で亡くなったとのこと。
私達がお訪ねした時には美沙ちゃんのために1日でも長く生きたいという思いを持っていました。
その後、たびたびお訪ねするようになり、その間に信仰を持ち、天国に行ける喜びで満ちて、お宅で洗礼式を行うことができました。
彼女の言動は自分が苦しみの中にいながら、時には咳をするためにベッドルームに駆け込むこともあるような具合なのに、愛に満ちていました。
そしていよいよ最期の時が来ました。入院しました。入院中も彼女は毅然として、私達が訪ねるとベッドから出てちゃんと座り、一緒に主の祈りをし、時たま、「今苦しいのだけど、聖書を読んでくださらないかしら?」また、「お祈りして」と、電話をかけてくることもありました。
家のバラを持って伺った時のこと、「弘美さんの家のバラはとっても良い香りなの、ほかのバラとは違うの」
まさえさんのベッドの横には肺に貯まった水を取る機械が回っていました。ベッドの脇にあるサイドテーブルに置いてあったオルゴールのねじを回すと、なんと「バラ色の人生」でした。
彼女は35歳で知恵遅れの子を残してこの世を去らなければなりませんでした。でもあの美しい生きざまはまさにバラ色の人生でした。
P.S. とても長い話ですので、詳しくは「地に平和」いのちのことば社刊の中の「ラ・ビ・アン・ローズ」をお読みください。
竹下 弘美
小説のラ・ビアン・ローズも読ませて頂きました。まさえさん、なんと素敵な美しい方なんでしょう。信仰をもってイエス様の元に召されただけでなく、お姉さんやお母さんも導かれたのですね。
神様に与えられたかけがえのない命を、
「如何に長く生きるか」ではなく、「如何に善く生きるか」が私たちひとりひとりに問われているのだと思いました。
バラ色の人生
タイトルを見ると何もかもが満たされお金の苦労も無く愛した人に生涯愛された人世と思えるのですが、さて そんな方が果たしてこの世の中にいるのでしょうか? 何処かが良ければ何処かが欠けるものでしょう? まさえさんは子供を残して行く事が心残りでしたでしょうね。そんな 悩み苦しい時に信仰に出会え本当に安らかにあの世にたびたたれたのでしょう。
まさえさんに杏子さんをご紹介したかった。
とても素敵な方でした。