マッシイッソ

美味しい物を少し食べたい

この年になると、美味しい物をただ少量食べたい。

決して贅沢な物という意味ではない。日本を訪ねると安いものでさえ美味しくて、アメリカに帰ってきたらどうしようと思う。

こちらの人はあまり食べることを重要視していないのだろうか。

私は日本に帰ると、必ず、チョコレートパフェと石焼き芋、ラーメン、鯵の干物を食べることにしている。

もちろん、昔と違って今ではアメリカにいてもこれらの物は食べられるけれど、味が違う。

この前は滞在中にチョコレートパフェを食べ損なったので、帰りの成田空港で食べて、日本でのやるべきことを果たした気がしたくらいだ。

次元が低い話かもしれないが、やはり、美味しい物を食べるというのは生きる上の一つの楽しみではないだろうか。私は柿とおせんべいで十分幸せになれる。

義父は五十代で亡くなったが、体重が二百ポンド以上あった人で、かなり食事に気をつけていなければならなかったようだ。

あまりにも早く逝ってしまったので、「こんなに早く死んでしまうなら、好きなものをもっと食べさせてあげればよかった」と残された義母はよく言っていた。

ソーダをよく飲む夫に注意をすると、彼は義母の言葉にかこつけて、「死んだ後に後悔するよ」と私に言う。

一時韓流ブームのころ、友人から借りたDVDのひとつ、「愛の群像」の中で気がついたのは、いつも「ご飯を食べたか」「何を食べたか」「美味しいか」「よく寝たか」「よく寝るように」という会話が多いことだ。

四十四話あったので、韓国語で英語の字幕つきだから、だいぶ、韓国語が耳に入つてきた。

中でも「美味しい?」にあたる「マッシイッソ?」は覚えてしまった。この会話からもわかるように、韓国人は人間の基本である「寝食」をとても大事にしている国民である。

実際、韓国に旅行した時には、夫の親戚があまりにもご馳走してくれて困るくらいだった。

韓国での風習では食べないと失礼に当たるというので、平らげるのに苦労した。またよく食べると、とても喜ばれる。

韓国語で「イップダ」と言う言葉は、よく食べる子を良い子だとほめる表現だ。なるほどと思わせる次のような解説をみつけた。

「食」という字

“「食」という字は「人」と「良」という二つの漢字が組み合わさってできています。食べるということは人にとって良いこと、また人をよくするものだということなのでしょうか。”(日本国際飢餓対策機構ホームページより)

この日本国際飢餓対策機構は世界の飢餓問題ととりくんでいる。かれらの統計によると、世界では一分間に十七人(うち子供十二人)、一日に五千人が飢えで死んでいるのが現状だという。

これを知ったら、美味しい物を少量食べたいなどと贅沢なことを言ってはいられなくなる。

私達夫婦も渡米直後、貧しくて、大好きなマッシュルームを半ポンドしか買うことができず、いつか食べたいだけというよりも、少なくとも一ポンド買ってみたいと思ったことがあった。

また「たといそうでなくとも」という本の著者、安利淑女史は牢獄の中でひもじく、仲間がくすねて食べていた皮ベルトが食べたくて、娑婆に出ることがあったら、思う存分ベルトを食べてやろうと思ったという。(彼女はクリスチャンで、戦争中天皇崇拝をしなかったために死刑を言い渡された。)

食生活を大事にすること

先の日本国際飢餓対策機構のホームページには、「共に食べる幸せ」という題で、次の文が載せられている。

“最近日本で問題になっているのが、孤食です。どんなに高級な美味しい献立でも、その美味しさを分かち合う誰かがいないというのは寂しいものです。”

たしかに家族で食卓を囲む団欒を持っている家族からは、いわゆる問題児は生まれないのではないだろうか。

日本では食の飢餓はもう無いが、かえって心の飢餓がふえている。その対策として、この基本である「食生活」を大事にすることから始めるべきではないだろうか。

日系三世の友人ジョアンから、彼女の親戚の集まりについていつもきいていた。ある年のお正月にサンペドロの親戚の集まりに伺う機会があった。

まずうらやましかったのは、親戚の方々が隣あって住んでいることだ。彼女の妹さん、彼女のお母さんの従妹達だ。年をきくと八十代の方もいたが、みなぴんぴんしている。

オレンジカウンティ―に住んでいる彼女のお母さんや北加に住んでいるジョアンが南加に出向いて、親戚中が暮の内に三日がかりでお正月料理を作る。お寿司を作るのは若い人達の役割だそうだ。

テーブルに並べられたお正月料理は、日本でも見られないような見事な手料理だ。そして、元旦には一日中三世代、四世代もの親戚がお年始に出たり入ったりする。その数七十人。

普段は弁護士業の彼女もこの時には、七時間立ち通しで手際よく電気の天ぷら鍋で天ぷらを揚げていた。その食材の準備、たとえばエビ十ポンドをきれいにすることに、前日一日かけていたという。

そこに彼女のすぐ下の妹さん夫婦や幼い甥たちも現れた。なんと麗しいことだろう。日本ではもう失なわれている光景だった。

お正月、心が込められた美味しい手料理を食べて一年を始める。孤食ということはない、幸せな家族だ。こんなことがどの家庭でも行われていたらどんなにいいだろう。まさに人を良くする「食」である。

リタイアしたら、国際飢餓対策機構のボランティア活動をしたいと思っていたが、今の私にできることはせめて美味しい物を家族に作ったり、孤食を余儀なくされる方をお招きすることくらいだろう。

今ではマッシュルームを一ポンド買えるようになったが、そうなるとあまり美味しいとも思わなくなるものだ。

今夜も食事の時に夫に「マッシイッソ?」ときくと、「まあまあだな」と言う返事が返ってきた。

竹下弘美

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