真夏の夜の夢、娘がミス・アジアン・アメリカ・ペ―ジェントにノミネート  

母親とはちがって均整のとれた肢体の娘

うだるような暑い夏の日々が続き、ふと20年も前の夏の日の事を思い出しました。

娘のノエルは歩く前に泳ぎ出したような運動神経の発達した子で、家にプールがあったこともあり、小さいころから競泳チームで活躍していました。

そのためか、また夫側に似たのでしょう。均整のとれた肢体を持ち、時々、友人から「あなたの子?」と訝しく思われるくらいでした。

そのため、高校生の時、サンフランシスコの桜祭りを見に行った時にスカウトされて、サンフランシスコ青少年基金集めのファッションショーのモデルを頼まれたり、スタンフォードショッピングセンターの有名デパート、ブルーミングデールでのファッションショウにも出されたり、本人も楽しんでいました。

親とすれば、入学の決まっていたコーネル大学の学資を稼いでもらいたいと密に思っていたものでした。

ページェントへの参加の決心

そんな時、ミスアジアンアメリカページェントに出てはという話がきました。ノエル自身はファッションショウは好きだけれど、話が苦手だから、ページェントは嫌だと断り続けました。

ところが、翌年、大学一年を終えて初夏に帰ってきた時にまた勧誘の手紙が来たのです。

今回は、大学で1年すごして、自分の専門である国際ビジネスの上でこれからスピーチが大事であること、2年目にはそのためにパブリックスピーチの授業を取ろうと思っている事からチャレンジしてみたいというではありませんか。そして、応募してみるというのです。

大学がニューヨーク州なので、ニューヨーク州代表として出場するように、そのために第1,第2プリンセスのミスサンフランシスコ、ミスカリフォルニアにはなれないと初めから申し渡されました。

6月19日に最初のオリエンテーションがあり、ほかの出場者と顔合わせをしました。フィリピン系、中国系、インド系、ベトナム系そして韓国の女の子もいました。

みんななんと美しいこと。日本の血をひいているのは我が娘だけで、そうなる民族衣装の部では(父親が韓国人なので)チョゴリを着ようと思ったのに、お振袖を着なければならなくなりました。

7月11日までに45秒以内のスピーチを用意して暗記して来るように、またスポンサーを探して、プログラムに自分の写真を入れた広告を出すためにスポンサーを探すようにとのこと、前途多難です。

にわかに私はステージママに変身。着物の手配、着付けの専門家、ヘアドレッサー、メイクアップアーティスト探し、水着はすでに気に入ったのがありましたが、イブニングガウン、それも安くあげるために奔走。

かなり地味でしたが、教会の方に作っていただくことができました。スピーチはどうなっているのかとのこちらの心配もよそに本人は、ライフガードや水泳教授のアルバイトをしたり、また、その間に短大で、生物の単位をとってしまったり、あまり、ページェントの事は気にしていないようでした。

本番

満足のいくスピーチを私の前で披露することもなく、ついにホテル入りする日が来てしまいました。8月12日でした。

それから2日半の間、候補者達は一緒に寝起きし、オープニングの時のダンスやプログラムの練習を徹底的に仕込まれたようです。

そして起居を共にしたスタッフの中に審査員がいたということも面白いことでした。

オープニングではライオンキングの曲が始まると、ポーズをとって静止していた皆が一斉に動き出して、それぞれの民族衣装でダンス。2日半でこれだけできたとは感動でした。

そして自己紹介。その後、水着でのコンペティション。プロの歌手やブラッドリーサンフランシスコ市長の挨拶の後、休憩をはさんで、今度はイブニングガウンでのコンペティション。

身体中に金粉をまぶした子もいました。娘は参加しませんでしたが、有志のタレントショウもあり、いよいよスピーチと質疑応答でした。

バークレーの学生だったり弁護士や医者志望だったり、20秒で答えなければならない質問も「政府予算は何に使うべきか?」とか、「自分の尊敬する人は」「これからの社会ではどんな部門に女性は出ていったらよいか」、とか面白い質問ばかりでした。スピーチも皆巧みでした。

さて娘のノエルの45秒のスピーチは

「私の父は、韓国人、母は日本人であるがため、日本では受け入れらず、アメリカにやって来ました。私も幼いころ、人種差別を経験した事があります、でも私はこのような違った文化の中に生まれて事を感謝しています。高校のとき、カリフォルニア代表で、大阪に行く事ができたのですが、その時、自分のバックグランドを生かし、国際ビジネスを通して、これから、自分が世界の架け橋になろうと決意できたのです」

案の定、一度つかえましたが、まあ全部を割と落ち着いて話せたので、私はほっと。

そして、最終審査発表、18人の中からフレンドシップ賞や、コミュニテイー賞、タレント賞、娘には学業優秀賞のスカラスティツクアチーブメント賞、そしてインド系やベトナム系の女性達が第1、第2プリンセスに選ばれました。そして、ああ終わりました。

ノエルはページェントが終わった一週間後、コーネル大の二年目の新学期で飛び立ってしまいましたが、日系の新聞社での記者会見で、

「このようなコンテストに出る人達は軽薄な人達というイメージがあったのですが、皆とてもすばらしいタレントをもっていて、大勢の人の前で話すのが苦手だった私がそれを克服できてとても良い経験でした。」

と語っていました。

私にとってもこれはステージママを体験した真夏の夢でした。日本社会では受け入れてくれなかった私達二人からの娘がアメリカ社会で、堂々と、その架け橋のために生きるとスピーチをしてくれたのですから。

そして真夏の夜の夢から、早や、20年経ちました。彼女は今このスピーチで言った事を証明してくれています。

人生に無駄な事はひとつもありませんね。

竹下弘美


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“真夏の夜の夢、娘がミス・アジアン・アメリカ・ペ―ジェントにノミネート  ” への4件の返信

  1. 今回も素晴らしい「愛のひとさじ」えお読ませて頂きました。さすが李ご夫妻のお嬢様!美しいですね!ノエルさんのスピーチ感動しました。神様は私達のために「この地上の最高の宝物」として子供達をお与え下さったのですね。主に感謝!

    1. イーご夫妻がお嬢さんそしてご長男さんが公私ともに活躍されていたちょうど同じ頃、私たちは娘の美和の将来のことで、わたしは本気で全米ランキングに入っていた娘をBarcelona Olympic日本代表にするんだといきまいていた一方、家内は“ とんでもない、スイミングなど若い時だけ、ピアノは本人も家族も一生楽しめるし財産だ ”と言い張る為口論、が絶えない日々でした。結局最終的には辛抱強い母の勝ちでその後著名なコンクールで優勝してベートーベン、ショパン、サンサーンスなどの協奏曲をオーケストラと競演する事になり、皮肉なことに水泳で鍛えた筋肉がカデンツアを弾くときに大変役だったことでした。同じ頃、姉に負けず息子の勝馬も全米ランキングのswimmer になり、のち、Santa Barbara, Ventura, San Iouis Obispo (Tri Counties) のMVPに選ばれ、Cal Berkeleyに引っ張られ、経済的にも親孝行をしてくれました。思えば当時は子供達のために随分時間を費やしましたが今となってはよい想い出となっています。

      1. そちらのお子さんお二人はもっとレベルが上の水泳選手でしたね。
        しかも今はお嬢様はイタリアでピアニストとは、親の顔が見たいですが、コロナかで残念ながらお会いできませんね。

        呉服さんもお二人の子育て、父親として楽しまれたことでしょう。
        感謝ですね。

    2. 織田先生もお子さん達とお孫さん達に囲まれて神様からの祝福いっぱいですね。

      子供を通してみることのできる世界でまた違った恵をいただきます。この恵に感謝。

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