天国に送る母の日のカード

美しかった義母

最近かなり前に亡くなった義母のことが頭をよぎる。美しくオーラのある女性だった。彼女の姿が現れると、まさに舞踏会にシンデレラが入ってきた時のような現象がおこるのだ。その威厳のある容姿端麗な姿は真似してもできない。やはり、お育ちという言葉があてはまるだろうか。

まず、スタイルがよい。脚がきれい。着こなしがよい。帽子をうまくかぶりこなす。自分からは挨拶をしない。周りに凛とした空気が漂うのだ。まったく私と正反対。この点、夫は私のような妻でかわいそうだと思う。

彼女の生家は現在北鮮の国定公園になっているくらいの大屋敷だったそうだ。そのころ、地方からソウルの梨花大学まで彼女を勉学に出したのだから、よほど、裕福な家庭だったのだろう。

そんな彼女の美しさに彼の父は惹かれ、結婚したようだ。けれど、彼女は美しさばかりが取り柄ではなかった。政界人だった夫の影で、采配を振るうだけの才気があった。彼女なしには温厚な義父は国会事務総長という地位に就くことはできなかっただろうと、息子である夫は言う。

目的のためには手段を選ばなかったそうだ。三十代半ばの時、朝鮮戦争が勃発。義父は国連大使として国連でスピーチをし、その後日本に派遣された。家族も日本に引っ越した。その後、李承晩大統領と意見が合わず、そのまま日本に留まることになった。米軍の機密情報部で働き、日本で最期を迎えた。

私達が結婚した時には、もう父親は他界していた。夫曰く、もし、父親が生きていたら、日本人にひどい目にあっていた父だから、結婚を喜ばなかったかもしれないそうだ。他方、義姉達は、義父がアメリカで教育を受けたクリスチャンだったから、そんなことは意に解さなかっただろうとも言う。
  
それは私達が結婚式を挙げた数日後のこと、義母に連れられて長男の嫁として、横浜の外人墓地にある夫の父のお墓参りをした。以前は東洋人禁止だった外人墓地もそのころから、入れるようになっていた。

義父の墓石は韓国からもってきたもので、大きな石亀を土台にした三種類の石でできた豪華なものだった。韓国王族の墓だった。その前で結婚したことを報告した。そして、帰りに、渋谷の韓国料理店に寄った。店のドアは開いていたが、もうランチタイムが終わったところで、椅子がテーブルの上に載せられ、従業員が床をモップで拭いていた。

「下ろしなさい!」 威厳のある、義母の命令口調の一言。その従業員はモップを放り出して、そそくさと椅子を下ろしたではないか。そして、私達三人のために閉めた台所を開け、料理をしてくれた。

これは私にとって衝撃的なことで、その時何を食べたかは覚えていないが、そのシーンを今でも覚えている。なぜあんなふうに威厳があるのだろうか、女性の社会的地位や、権限についてこだわりのあった私にとってはとても興味深かった。

夫は韓国にいた幼い時に見たシーンを語ってくれた。

貧富の差が激しかった韓国では使用人がよく盗みをしたそうだ。ある時、銀のスプーンが盗まれた。数ある銀器の中で、ひとつのスプーンがなくなったということがどうしてわかるのか不思議だと夫は言う。それだけではない。彼の母は数居る使用人の中で誰が犯人であるかもわかるのだそうだ。彼の母はすぐ女中部屋に入り、使用人にその子の風呂敷を開けさせると、ちゃんとそのスプーンが出てきた。その後が大変だった。

「アイゴー、アイゴー」と泣き叫ぶ、その子を男子の使用人に命じて、おしおきのため、鞭打たせたというのだ。幼い夫はそれを見てしまった。夫はいつも、使用人に育てられていて、近くで母親を見たことはあまりなかったそうだが、家中の者は義母を恐れ、そばを通ると冷たい風がよぎったと言う。今思えば、優しさだけではこの世はやっていけない。彼女は彼女なりにやるべきことをしていたのではないかと思えてくるが。

日本に移住しても、お手伝いさんがいて、義父と外に出ることの多かった義母だ。急に義父が亡くなった。すでにほかの兄弟は結婚したり、留学していたりして、大学生だった夫と彼女だけが残され、生活のために大きな家を映画会社に貸した。(「娘と私」や「意地悪ばあさん」の撮影に使われた)そして二人で小さなアパートに移った。

そこで初めてお湯が出ない生活を味わった義母は、「水ってこんなに冷たかったのね。私はずいぶんかわいそうなことをしたわ」とつぶやいたのを夫はきいたという。つまり、寒い韓国で水を使って家事に励む使用人に自分がとても邪険にしたことを思い出し、悔やんでいたというのだ。 

私も結婚後、少し邪険にされたことがある。私はそれに対して口答えばかりしていた。でも彼女の最期のころには、この欄の“姑は怖くない”で書いたように嫁姑問題は解決し、おまけに彼女のおかげで私はクリスチャンになれた。

もっともっと韓国の話を訊けばよかった。後年、夫も同じことを考えたのか、義母に実家の話を訊いたのだが、「そんなこと聞いてどうするの」と取り合わなかったそうだ。義母に連れられて子供達も一緒に韓国に行ったことがあった。

北朝鮮との境にある「雪岳山」(ソラクサン)という所にバスで登った時、義母は目を細め、北鮮のある遠くを見渡し、「もう一度故郷を訪ねてみたいね」とぽつんと言った。が、その夢はついにかなわずに、天国に帰っていった。

想い出の中では邪険にされたことさえ懐かしい。そして、彼女は美しいだけ。

もっと嫁として尽くせばよかった。

母の日のカードを送る先が天国でしかない今、そう思う。

竹下弘美

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One Reply to “天国に送る母の日のカード”

  1. う~~ん、そうか、弘美さんは凄い所にお嫁に行かれたのですね。
    凄いお姑さんにお仕えになったのですね。前のブログで知ってはいましたが。冒頭のお写真が義父、義母の方ですか?
    私は、身の程知らずにも凄い方達と冗談を言い合っているのですね。
    李先生にしても、全く偉ぶったところが無いし、話易いのです。
    もっともっと違う世界のお話を聞きたいものです。
    それにしても、天国のははにカードが届けらるといいですね。
        ミジンコ

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