息子は十七歳

高校ジュニアの年

息子にとって高校のジュニア最後の日、おもわず、おめでとうといった。無事に終えただけで、感謝だ。この年は大変だときいていたが、本当に親の私も大変だった。

というのは、以前は起こさなくても自分から起きた子なのに、毎朝あまりにも疲れすぎて起きられず、遅刻しないように起こすのが、大変だったからだ。

息子はジュニアになってついに六年間やっていたアイスホッケーを断念した。トラベリングチームで、週末に試合のため遠出をすることは勉強との両立が難しいと自分で判断したからだ。

それまでアイスホッケーは、父親との唯一のコミュニケーションの時であったが、ホッケーで大学に入れるくらいの技量があるわけではなかったこと、ほかに彼にとってあきらめられないロックバンドや新聞部での活動が多くの時間をとっていたことによる。

またできれば、ジュニアの年にSATの満足のいく点を出して、シニアの秋にはアーリーディシジョン(早期決定とでもいうべきか)で、志望大学に合格してしまいたいという願いを持っているため、SATの勉強もしなければならなかったし、また宿題が多く、毎日のようにいくつものエッセイを書かなければならなかった。

娘の方は私立の受験校に進学してAを揃えるのが、趣味だったような子だが、その娘よりも息子の方がよほど、勉強していたような気がする。けれど、その勉強に費やす時間数と成績とは必ずしも一致しないからおもしろい。

「あいつはバカか、あれだけ勉強しなければならないとは。俺は勉強しなくても六十点はとれていたのに」と父親の夫は言う。なにしろテレビを見ることや、コンピューターゲームをすることなどの時間的余裕は全然なかった年だ。

運転にも慣れ、門限の十二時を守ること(もちろん、バンド演奏の後、仲間を家に送っていったりして、十二時を過ぎることもあったが、その時には必ず、電話をくれるのには親ながら感心)日曜日の礼拝だけは守るということを基本にあとのことはほとんど自由にさせた。

女の子を連れてきていっしょに勉強していたこともあったし、もちろん、ジュニアプロムにもでかけて、楽しんでもいた。

自分をアピールする曲作りと演奏

一番彼が時間を費やしていたのはパンクロックバンドでの作詞作曲、演奏出演と自分達のCDを売り込むことだった。結構、インターネットでPRして、かなり、成果が出ていた。

スタンフォードステーションの一時間の生放送を頼まれたり、パンクロックで有名なグリーンデイとサンフランシスコで共演するという栄誉にも与かった。YMCAなどで、青少年を防犯から守る会のような金曜日の晩のプログラムへの出演を依頼されたりした。その都度、ガソリン代くらいはもらってくるし、次のレコーディングの費用はCDの売り上げで賄っていた。

それが、息子の十七歳の年の過ごし方だった。一時日本でよく十七歳の青年たちが犯罪事件をおこしたことがあった。皆目立ちたかったとか、アテンションが欲しかったが故の事件だ。私の息子の場合、幸いにも自分をアピールする曲作りと演奏があった。パンクロックは特に怒りを表現する曲だそうだ。

親の権威を固持する

私たち夫婦は子供が小さいときから、親の権威を固持してきた。よく「門限があってもうちの子は守らないの」と、平気で言う親がいる。守らさなければいけない。それは、それまでの親の子供に対する育て方に問題があったのだろう。

そういう親は子供が小さいとき、「駄目よ」と子供に言っていながら、子供が言うことを聞かなくてもそのまま言いなりになっていたに違いない。

駄目なことは駄目で通さなければ、子供は親の態度を見抜く。そのように目に余る親が、とくに日本から来た親の多くに見受けられる。

たとえば、他人の家の冷蔵庫を勝手に開けたり、カーシートに座らなかったりしても、その親は何も言わない。他人様の子供とはいえ、私が、強くしかったりすると、かえってその子たちは私を慕ってくれたものだ。

結局、子供は自分のことを真剣に考えてくれる親、駄目なことはちゃんと叱ってくれる強い親を望むのではないか。

また、よく親を叩いている子供を見受ける。それは決して許すべきではない。そんな小さい時からの親の態度が結局、親の権威保持失墜になって、ティーンエージャーまで、響いてくるのだろう。
  
我が一人息子はもうすぐ危険な年、十七歳を通り越して十八歳になる。もう門限をとやかくいうこともないだろう。彼はもう、ちゃんと責任をもって独り立ちできると確信している。

竹下弘美


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