今日はプレゼント | NYは大丈夫

テロ直後のNYへ

「本当に行くの?」「くれぐれも気をつけてね」皆、ニューヨークに旅立つ私達を心配して言ってくれた。あのテロ事件の年の十月のことである。この旅行はもうかなり前から計画していたものだ。その年NYU(ニューヨーク大学)に入学した息子のピアレントデイがあるのでそれに参加することがまず目的であった。

まずニューヨークに飛び、息子に一目会ってからニューヨーク州の北の果て、イサカのコーネル大シニアの娘を訪ねて紅葉を満喫、そしてニューヨークにもどって、NYUのピアレントデイに参加という予定だった。プライスラインドットコムでなんとサンフランシスコからニューヨークまで夫と二人、たった往復三百ドルの飛行機代ではテロ事件の後でもなんのその。

JFKからのタクシーでの車窓は、“Welcome to the hero city”“We love NY more than ever”と書かれた看板が目立つ。まず、息子のドームに。ドームはローアーマンハッタンのブロードウエイと10thにある。この間まではその空にあのTwin Building が見えたという。

まさに喧騒の中だ。昔ホテルだった所をドームにしただけあって古いが格調高い建物だ。ロビーに降りてきた息子はなんとやせてしまったことか。入学直後、 目のあたりにした九月十一日の模様。避難を通して見たニューヨーカーの力強さ。いつもeメールでことこまかに説明してくれていたが。秋休みでイサカから出てきていた娘もそこで待機していてくれて合流。

息子の案内で行ったレストランでは息子が食べること。 ミールプランに入っているのによほど飢えているのか残り物はすべて自分が持ち帰るという。翌日は学校のある息子と別れて娘の運転で夫と三人イサカへ。

三年前には十七才の娘を私達がコーネル大に連れていった。今度は娘がレンタカーの予約も、地下鉄でクイーンズにあるレンタカーやへの行き方の誘導もなにからなにまで、すべてやってくれた。イサカまでの五時間の道のりも最後まで娘が運転してくれ、その間いつもあまり話をしない娘がずっと話し続けた。

今後の進路や政治について主に父親と話しが弾んだ。翌日昼には南加にいた時、親しかった友人の息子さんU君がコーネル大の二年生なので一緒に食事を。六才の時、ひ弱だった彼は日本の施設に一人で一年行かされたことがあったくらいだが、十年ぶりに会ったU君はすっかりトライアスロンに励むFine Manになっていた。

彼はPre. Medで医者志望。夫が大学院生になりすまして娘のガバメントのレクチャーに一緒に出席している間、私は滝あり丘ありのコーネル大の中を散策。紅葉の見頃だった。アフガニスタンでの戦闘など別世界のようなのどかさだ。三々五々構内で一所懸命勉強している青年達を見ながらこの子達の前途が平和であるように祈らざるをえない。

そして、紅葉をゆっくり愛でながら、私達夫婦はNYUのピアレントデイに出席するためにニューヨーク市にドライブしながらもどった。でも到底物見遊山で世界貿易センター跡を見に行く気にはならなかった。

ピアレントデイ

ピアレントデイの第一番目の催し物はFall Festival と銘うってニューヨークスタイルのストリート祭のはずだった。それが、九月十一日の事件の追悼式、そして、一致団結の式という形式に変えられた。息子の友人も知人を多く失ったという。息子は五時まで学校での仕事があるというので、夫と私は四時半からのその式に先に出向いた。なんとNYUの前は歩行者天国になっていて、大学の色である紫と白のバルーンがたなびき、フードブースが両側にびっしり。

無料で、飲み物や綿菓子、コーン、ホットドッグ、ドーナッツを手渡してくれる。プラザでは式典がすでに始まっていた。司会の学長さんは野球帽をかぶり、自ら司会をしている。ニューヨークらしく、歌で始まり、ニールダイモンドが学長とデュエット。中で、犠牲者への黙祷の時間がもたれ、追悼とともに「私達はテロに負けない。これから、皆が一致して立ち上がろう」という気運がみなぎっていた。

犠牲者への義援金になるNYUのTシャツを売っていたがそれにも十か国語で‘We stand together”と書かれていた。NYUの学生にはブロードウェイショウを五ドルで見せるから、皆、行ってサポートするようにとの励ましもあった。ある心理学の教授は何十人もいる生徒一人々々に二十ドルずつ手渡してお金を使うように薦めたという。

そこにやはり南加で一緒だった友人の息子さん、P君が会いにきてくれた。彼にとっては庭のようなニューヨーク。息子と私達をおいしいアジアンレストランに連れていってくれた。小さい時、彼の頬はとてもふくらんでいてかわいく、私はいつも触らせてもらったくらいだが、見上げるくらい背の高い彼の頬は今髭に覆われている。

彼は舞台プロダクションデザインを手がけてすでに現役で活躍している。あのほっぺの坊やがすっかり芸術家だ。 次の日は息子の専門であるフィルムデパートメントの教授達との朝食会や昼食会の親のプログラムがあり、いかに九月十一日から学生の態度が変わったか、皆真剣に毎日を生きるようになったと、どの教授もコメントしていた。

夜は、プログラムの一環として大学院生が国際映画祭に提出した映画の数々を息子と楽しむことができた。息子はやせたとはいえ、また通りがうるさくて夜寝られないとぼやきながらも、好きなフィルム制作の勉強に目を輝かしていた。

帰りの飛行機の中で、旅の最中テレビで垣間見た、犠牲者の遺族が語っていた言葉、「私は今日を生きます。今日は神様からのプレゼントですから」がよぎった。英語で今をプレゼントというのはそういう意味だとどこかで読んだことがある。

自分の子供たちを含めU君もP君もニューヨークの人々も大丈夫。あの事件を通して今をプレゼントとして大事に生きるようになっている。夫も私も満ち足りた気持ちで家路についた。

竹下弘美

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