心の平安

日本文学の授業

「なぜ本を読むのですか?」先生が質問した。大学一年の日本文学の時間だった。法学部だったが、一般教養の文学の授業に日本文学界で著名な小田切進先生が講義してくださっていた。ちょうど先生は日本文学館を建てるのに尽力されていたころだ。

誰として答える生徒はいなかった。私以外、教室は男子学生ばかり。野球でリクルートされた学生は私の後ろの席だったが、教室ではいつも寝ていた。ボート部の学生も毎日の練習で疲れはてていて、ただ、出席数をかせいでいたのではないかと思う。

本当に勉強したくて入った学生がいただろうかといぶかしく思う。多くの学生が第一志望の大学に落ちて本当はこの大学にくるべきではなかったのにというような捨て鉢な態度だった。誰も答えないのでその沈黙を破るべく、先生に少なくとも先生の講義を聞こうという生徒がいることを知ってほしくて私は手を挙げた。

「自分の人生はただ一回しか生きられません。その人生をどのように生きたら良いのか、いろいろな本を読むことによって他の生き方を学び、自分の人生をよりよくするように、私はそんな思いで、本を読みます。」小田切先生は先生の問いに反応があったことを喜ばれた。

それから、何十年たったろうか。本の中でいろいろな人の人生に会っただけではなく、現実社会でも渡米したために多くの人の生き方を本から以上に見ることができた。 いつも思うのだが、日本に留まっていたなら、こんなに数奇な人生を暮った人々を見ることはなかっただろう。

また本の中の本、聖書にであったことは一番の収穫であった。その結果、自分の人生をより良く生きることを自分なりに得たと思う。幸福はお金では買えないこともとうに承知だ。

ハンディマンのロス

シリコンバレーの家を買った時、家を改造してくれたハンディマンのロスは、イランから留学してきて、その後アメリカ人の奥さんと結婚。ゼロックスにつとめていたが、やめてハンディマンを始めたという経歴をもっている。それは彼の価値観であるinner peace(心の平安)を持続したいがため、選んだ生き方である。

アメリカ社会で彼のような人にめぐりあうのは珍しい。彼は決してお金のためには働かない。安くて困るような値段でなんでもやってくれる。お金をとってもらうのに説き伏せなければならないような調子だ。ふつうのコントラクターがやるように材料費に上乗せするようなことはしない。そしていつも幸せだ。

ザ・ホーム・デポ(The Home Depot)に材料を買いにいってもみんなが話しかけてくる。お金持ちではないが、英語でいえば、「rich in heart」。本当に幸福な人だ。その上、会う人に幸福をもたらす暖かさをもっている。

私も息子にいわせると「annoying」なくらいにいつも幸せでいるという。育った家庭環境のせいか他人を疑ったことがないし、ひがむということを知らない。物事をなんでも良い方にしかとれない。だいたい、鈍感なのだろう。よく「この間はへんなことを言ってごめんなさい」と他人に謝られるがそれが何のことだかわからないくらい気にしない。傷つかない。だから夫と結婚していられるのかもしれないが(?)。

アメリカにきてからも教会や仕事場でも良い方々ばかりにめぐりあってきた気がする。もちろんどの職場にもたいてい一人は意地悪な人がいる。そういう人はたいてい寂しい嫌われ者だから、暖かく接するだけで、すぐ仲良くなれる。そんな性分だから、他の人が人間関係で苦しむということをきいても全然わからないでいた。

たしかにいつも神様の前に自分が責められることのない生き方をすることをモットーとしてはいたが。 そういう意味では先のイラン人のロスとおなじようにいつも心の平安がある。

晴天の霹靂

ところが、最近、私を苦しめる人が現れた。晴天の霹靂というのだろうか。飼い犬に噛まれた経験だった。親切にしてあげた人が、好意につけこんできた。いままでの人生でこんな経験は初めてである。悔しかった。正しさを主張するなら、当然相手は理不尽だった。心の平安どころではない。心は騒ぎたつ。どうしてもこちらの正しさを主張したかった。腹がたって、眠れぬ夜が続いた。

けれど気がついた。この感情に費やすエネルギーは相当なものだということに。「長期間の激憎は、脳の働きを破壊し、心臓に圧力を加え、血圧を高め、消化不良を起こさせる、これらはいずれも、人を死に追いやることのできるものである。憎むことは人体のすばらしい機構を故意に妨害することである。

私たちは神がくださった愛とよばれる薬を、どんなに必要としていることであろうか。ロバートD.フォスター」という言葉を読んだが、あのベストセラーになった「脳内革命」でも同じことが言われている。

この苦悩に費やすエネルギーが惜しかった。犬飼道子さんの本「幸福のリアリズム」を読んだ。その本の中で、彼女は「悩み事は寝るときに冷凍庫に入れなさい。そして、ぐっすり寝て翌日になったら、冷凍庫から出してまたその問題と対決しなさい」と提起していた。

私のその人との関係はそのあと三ヶ月で、終わることになっていた。そこで、これを応用した。彼女のために私が寝られぬ夜をすごし、年老い、美貌(?)を損なうのなら、損ばかりである。いっそ、馬鹿になって彼女の要求をのみ、そのことを冷凍してしまおうと決意した。

そして実行した。相手は私の寛容さに拍子抜けしたようだ。私はそのままその感情を冷凍庫にしまい、三ヶ月して、それを出し、熱湯で溶かしてしまった。あとくされは何もなかった。

今、ふりかえっても悔しくないし、彼女に対する悪い思いもなく不思議に冷静だ。勝利だ。こうして心の平安をとりもどした。この事件を経験したからもう怖いものなしになった。

いやなことがきたら、この対処方法がある。そして、私自身も河の上流から、下流へ流されていく石が丸くなっていくように丸くなっていくのだろう。その川があとどのくらいの長さか知らないが。

あの大学時代、無気力だった男子学生達は今、どのような生き方をしているだろうか。願わくば一人々々賢く自分の人生を切り開いて、心の平安をもって生きていて欲しい。

竹下弘美

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