プリムス・ヴァリアント(Plymouth Valiant )の思い出

車社会のアメリカ

20年ぶりでサンフランシスコ近郊からロサンゼルスに帰ってきて、運転の荒さに驚きました。毎日TVのニュースは交通事故のニュースで、怖いです。

大きな事故には遭っていないものの、先日私も血液検査のオフィスにいっている間に、駐車場で車の後ろをぶつけられていました。幸い、証人がいて、ぶつけた人の車に書置書置きをして、その人を見つけることができ、大事には至りませんでした。

この車はいったいアメリカに来てから何台目の車でしょう。今まで乗っていた多くの車を思い浮かべました。渡米直後、一番初めに200ドルでおんぼろの大きなアメリカ車を学校に通うためだけに買いました。なにしろ、カリフォルニアは車社会で、車が無ければ何もできないからです。

プリムス・ヴァリアント

それがすぐ駄目になり、プリムスのヴァリアントという前から見ると豚のような恰好の中古車を買いました。この車には思い出があるのです。滞米3年目のころの事です。夫はコンピュータの専門学校に通って、慣れない英語での授業についていくのが精いっぱいでした。

私は生活を支えるため、やはり慣れない英語で日本人が一人もいない会社で経理の仕事をしていました。

12月31日のことです。貧しい生活でしたが、お餅だけは買いたいと、ロサンゼルス近郊の日本のお店の多い、ガーデナというところにお餅を買いにいった時の事です。フリーウェイに差し掛かった時、なんと車が止まってしまったのです。

相当古い車を中古で買ったのですから、予測はしていましたが、途方にくれました。だんだん暗くなってきました。まだ携帯電話もないころです。何台かの車が通過しました。大晦日ですから、困っている私達を助けてくれるような余裕がある人などないでしょう。

ところが、子供連れの白人の中年婦人が止まってくれたのです。そしてそばのガソリンスタンドに頼みに連れていってくれ、おまけに家まで送ってくれたのでした。私達にとってはエンジェルの出現でした。もちろん、トリプルAのメンバーになる余裕などなかった私達でしたから。

お餅は手に入りませんでしたが、なにしろ、一台しかない車がどうなるか、お正月どころではありません。車やさんには、もう使い物にならないと言われました。

同じデュプレックスに住む自動車に詳しいアメリカ人の友人、ダニーの助けを得て、新聞広告で個人からボルボのスポーツカーを買う事ができました。ボルボは夫のドリームカーでした。いくら古くてもボルボはボルボです。思いがけず、手持ちのお金すべてをはたいてでも、ドリームカーを手に入れたのです。内装が皮なので破れていましたが、それはいずれ直すことができるでしょう。

スティックシフトですし、夫は夢中でした。やはり車好きなダニーと、食べるのも忘れていじくりまわしていました。もう盲腸になっても、入院する費用はありません。万一帰国するための備えの蓄えはいつもとってあったのですが、それも無くなりました。

翌日、それまでの車、プリムス・ヴァリアントを自動車やさんに売りに、というよりも引き取ってもらいに行きました。

たった50ドルというのには驚きました。とはいえ、よく自動車やさんまで動いたものです。それに買った時も500ドルだったので無理もありません。

今度のボルボは少し、長持ちするような車です。夫がエンジンをかけました。ふと前方を見ると、車やさんの駐車場に私達のヴァリアントが一台だけ、ポツンと停まっているのが視界に入りました。

「白豚ちゃん」と私が呼んでいたその白い丸い車体が寂しそうです。「かわいそう」と、思わずつぶやいた私に、驚いた事に夫も「うん」。アニミズムの思いが私達の中にあるのは、日本で育ったためでしょうか?

後ろ髪を引かれる思いを吹き飛ばすように、夫はギアチェンジをしました。きっと夫もこの3年間の、あの車との思い出を辿っていたのでしょう。

国籍の違い故、双方の親から反対された結婚でした。日本社会で受け入れられないので、東も西もわからないアメリカに、自分達で貯めたお金だけをもってやってきた私達。

その足になってくれたこの車は、朝学校に行く時になって動かなかったり、ギアがボタンになっていて、そのボタンが、押すと中にめりこんでしまったりしながらも、休みにはあの暑い砂漠を通ってグランドキャニオンやソルトンシーなどにも行ってくれたのでした。

あれから何年も経ちました。その間、何台の車を買い替えたことでしょう。そしてもう、途中で止まってしまうような車には縁のない生活になりました。

でも今でも私の瞼に浮かぶ車といえば、あの自動車やさんに置き去りにされたヴァリアントなのです。

近い将来、運転手無しの車になるとは、長く生きすぎたような気がします。

竹下弘美


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“プリムス・ヴァリアント(Plymouth Valiant )の思い出” への2件の返信

  1. 弘美さん
     私はアメリカに来てすぐ乗ったのはマーキュリーでした。アメリカ車だから大きくてシートに埋もれて運転していました。坂を上る時は空だけが見えて道路が見えずとても怖い思いをしました。しかも中古でいつエンストするか解らずビクビクしながら運転していました。駐車するのも一苦労でした。それを日本車の新車に変えたときの安心感。駐車するのも楽々、エンストの心配もないしルンルンでした。
    やはり日本車が楽、小型車が楽、が今に至っています。

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