息子のアカデミー賞受賞式に備えて私達父母が準備していることとは?

        

息子の専門

小さい時からおしゃべりで、劇をしたり、書いたりすることが好きだった息子は希望通り、ニューヨーク大学のTish Dept.(芸術学部)に入学し、卒業した。専門は映画制作。映画の専門教育としては、NYUはアメリカ、いや世界一の教育をしてくれるところだそうだ。

息子は在学中にも様々な短編映画やミュージックビデオの制作に携わってきたが、卒業作品の制作が大変だった。友人の中には「そんな専門で反対しなかったの?エンジニアリングとか、もっとプラクティカルな専門にすればよかったのに」と言う人もいる。

たしかに膨大な授業料で、借金だらけの上に卒業しても、投資しただけのお金が返って来るくらい稼げるかはわからない。けれど、最近、彼がやっていることは私達夫婦二人がやりたかったことだということに気づいた。

映画三昧だった幼少期

私の幼い日は映画で始まったような気がする。母が幼稚園に私を連れにきて早引きさせ、映画に行ったこともある。その時見た映画の中で池辺良がハンサムだったのをはっきりと覚えている。もちろん、カラーではなく白黒の画面だった。

ある時には父に肩車をされて、バレリーナのモイラシアラーの「赤い靴」を見た。映画館は一杯で座席がなかったからだ。最後のシーンでモイラシアラーが踊ることを止められず、赤いバレーシューズが脱げなくなって踊り続け、倒れて血が出るところは、髪をふりみだした靴やの形相と共に今でも脳裏にこびりついている。私は肩車をされていたが、怖くて父にしがみついた。

父と何回も見たのは、アランラッド主演の「シェーン」だった。

映画館の帰り、線路際の道を歩きながら、父が姉や私に延々と講釈を述べていた情景も目に浮かぶ。あのテーマ音楽の旋律は、音に対して鈍感な私にしては珍しく耳の中に残っているし、去っていくシェーンに向かって少年が叫ぶ「シェーン、アイラブユー」の言葉には泣かされた。

「シェーン」の時には夜道だったが、たいてい父と私は(母と姉はどうしていたのだろう)日曜日に私が日曜学校から帰ったらすぐマチネーに行き、帰り道、吉祥寺の駅前通りで必ず、ラーメンを食べるのがならわしだった。その店の名前はおぼえていないが、隣にロダンというカフェがあった。そこにはベレー帽を被った画家のような人々がたむろしているのが、外から見えた。

ロードショウで「十戒」を観た。日比谷まで家族4人全部で出かけた。有楽町や日比谷にロードショウを観に行くときには、いつも必ず数寄屋橋のホットケーキやさんに寄って帰ったのだが、「十戒」を観たときはお正月で、ホットケーキやさんには寄らずにお堀端を歩きながら、今観たすごい映画のインパクトを家族で話し合った。ローマ兵が「了解」という合図に拳で自分の胸を叩くのがおもしろく、しばらく我が家で流行ったくらいだった。

先日これをテレビでやっていた。あんなに感動した映画だったのに、今観ると、なんとチャチなことだろう。あの頃騒がれたシネマスコープやユルブリンナーの独特の持ち味やユニバーサルスタジオの売り物であった紅海が分かれるところも、今の映画に慣れていると、その技術が陳腐に見える。映画全体の運びも今の映画と比べるとかなりスローだ。

若いころのグレゴリーペック主演の「子鹿物語」は、生きることがどんなに大変なことかを教えてくれた。それで子鹿を殺した母親が嫌いだった。

幼心に美しいと思ったのは、「ノートルダムのせむし男」の最後のシーンだ。大男のアンソニークイーンが背むし男のガジモトでロロブリジーナーがジプシーの女性だった。二人は愛し合うがままならず、最後に二人で抱き合って死ぬ。その二人の身体は骨になり、風化されて最後にLOVEと言う字になった、

環境と血?

振り返ってみると私の両親は子供達になんと多くの映画を観せたことだろう。ほとんどが洋画だった。父は銀行員だったが、銀行の演劇部でディレクターをしていた時期もあり、その舞台を観に行った時のこと、自動車の擬声音が豚の鳴き声に聞こえて笑ったのを覚えている。父の従兄は新国劇の俳優だった。

夫の方は演劇や映画は卑しい仕事という感覚の家族の中で育ったようだが、社会人になってから、シナリオ教室に通って、浦山桐郎や新藤兼人、篠田正浩などに指導を受け、今でもときどき台本などを書いているので、息子と意気投合している。また韓国の俳優、チャンドンゴンは彼の従兄の孫だ。

そんなわけで、息子が制作する映画のウエブサイトやチラシを見ると、親馬鹿はつい楽しんでしまう。

息子の最初の映画は短編映画なのに、制作費が7万5千ドルというところで、気が遠くなったが、ファンドレイズのところをみると、5千ドル出してくれる人の名前が映画の最後にエグゼクティブプロデューサーとして出るのだそうだ。そのことを知ってから、映画を見る度に気をつけるようになった。

たしかにエグゼクティブプロデューサーというところに多くの人の名前が出るが、あれはお金を出した人の名前だそうだ。また最後のサンキューノートにも協力者の名前が出る。

この卒業制作の映画のときには息子はいろいろな会社や個人にあたって資金集めをした。そしてこの短編、「Shift」はサンタモニカのフィルムフェスティバルで最優秀賞に輝いた。

私と夫は何年後かのアカデミー賞の受賞式に備えて、健康と美容に気をつけなければならない。もしかしたら、クリントイーストウッドのように七十歳くらいになってアカデミー賞をとるとなると、私は未亡人として、一人で出席することになるだろう。

息子は壇上でオスカーを掲げながら、ジャンクフードの食べすぎで、早く亡くなった父親を偲んで、感謝の辞を述べることになるかもしれない。

こんな夢もただだから、見ることができる。7万5千ドルかからない。 

竹下弘美

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3 Replies to “息子のアカデミー賞受賞式に備えて私達父母が準備していることとは?”

  1. 息子を愛する母親の気持ちは父親には理解の及ばないといつも感じておりますが、妻が申しておりますことは息子のためであれば死ねるとは本当かもしれないと思わされます。息子はNYUを選ばずにMcGillを選びました。また、大学院は日本の国立大学を選んでくれたので、学費はただのようなものでした。我が子ながら親孝行な息子だと内心喜んでいます。かくのごとき書き方をする私も相当な親ばかかもしれないと今、了解しながらこのコメントを書いています。

  2. 親バカ同士ですね。
    でも子供さんがあたえられ、違う世界がひらきましたでしょう?
    神さまのめぐみを違う分野でかんじられたのでは?

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