マザーキラー

誕生日

「お誕生日おめでとう。そちらはまだ八日じゃないでしょうけど、日本ではもう八日だから、電話したの。あなたが生まれた何十年前とおなじように、今日の東京は良い日よ」東京の八十九歳になる母からの電話だ。

誕生日というのは、親、特に母親のためにあるのではないだろうか。母親として子供が生まれた日の感動は忘れるものではない。本人の私にとっては、毎年、月日がたつのが速すぎて、もう誕生日は嬉しいものではなくなっている。でも無事ここまで過ごせたことを感謝する意味では、祝えるのだが。

先日、日本から遊びに来た五歳上の姉が、私が生まれたのは母の実家の二階で、生まれたと聞いた時、どんなに嬉しく、私の顔を見に行ったかを話してくれた。彼女にとっては誰が何と言おうと、待ちに待った世界一かわいい妹だったのだ。そして幸いなことにそれは現在も続いているようだ。

誕生日には昼休み、職場の十五人がこぞって日本レストランの二階を借りきって祝ってくれた。また夜は夫がレストランにて連れだしてくれた。すでにみちたりた誕生日も終わろうとしていたが、家に帰ると、大学一年の息子から、「誕生日おめでとう」と留守番電話にメッセージが残されていた。

彼からはすでに朝のうちにeメールによるカードが届いている。またやはり、大学生の娘からも「誕生日、おめでとう。今日はどうだった?」との電話。

息子からのカード

郵便箱を見ると、中から、息子と娘からのカードが届いていた。彼らの大学のあるニューヨーク市やニューヨーク郊外の田舎から、どのくらい郵便がかかるかわからないのに、ちょうど当日着のカード。

そのことにさえ、感激したのに、その内容たるや、娘からのも暖かい言葉だったが、息子からのは何たること、英語でそのまま書いたほうが、ずっとニュアンスが出るが、訳してみる。

「誕生日おめでとう。どんなに僕がママに感謝しているか、どんなに僕に幸福感をもたらせてくれたか、口では表すことができないくらいです。僕は成長期にママを悲しませたり、失望させたりしたことがあった、と思うとすまないという気持ちでいっぱいです。

でもいつか、ママが誇ることのできる人間になれるようにと願っています。困難に出会うことは、人生の学びの一部だし、僕の成長に寄与するものだと知っているけど、ママは僕に喜びだけをもたらせてくれました。僕もその喜びの半分くらいでもいつか、お返しができたらと思います。

そういう人が自分の母親であることを感謝してます。これまでに自分が誰に啓発されたかと尋ねられたら、ママだと答えるでしょう。言葉では表現できないです。ママがいなかったら、いったい僕の人生はどうだったか想像もつかない。
世界一のママ、ありがとうアイラブユー  息子ジョナサン」

涙もろくない私なのに、泣けてきた。マザーキラーだ。アメリカ人だけある。日本で育った子供には言えないセリフだろう。なんでもオーバーに言う息子だけあってすごい。これから女の子たちにもこの手で近づくのでは?

このカードは何よりのバースデープレゼントだ。友人に見せ歩いた。「弘美さんの育て方が良かったからよ」と言われ、「そうね」と自負したものの、私はこんな風に言われるほどの母親ではない。息子が小学校の時、お友達が遊びに来て食事の時間になったので、その子も一緒に食事をした。

ありあわせで、キャンベルのクリームオブマッシュルームスープを出したところ、「うちのママのスープはすごいんだよ。かたまってるの。それがおいしんだ」とそのお友達に言っているではないか。きいていた私は顔から火がでそう。

私は不器用でその上、丁寧さよりも迅速さを第一とするので、本当はスムースになるはずのスープもいつもかたまりができているだけなのに、それが私の腕前と息子は思っていたのだ。ただ混ぜるだけのフィンガージェロームがスムースにできるようになったのも最近だ。つまり、よく混ぜていなかったからだ。

また息子は小学校四年生くらいから、洗濯は自分でするようになった。それというのも、私の洗濯の仕方が気に入らなかったからだった。娘のソックスと息子のソックスを片方ずつ間違えたりするので、それに耐えられなかったからだ。

つまり、けっして、できた母親でなないのだ。けれど、イエスはイエス、ノーはノーではっきりし、叱るべきことは叱っていたこと、子供のためにできるだけ時間を費やし、信仰をもって育てたこと、という具合に、一貫した子育てのプリンシプルをもっていたことがよかったのかもしれない。

私がいなかったら

「ママがいなかったら僕の人生はどうなったかって?あなたがこの世に存在しなかっただけよ」と電話で言うと、息子は笑いながら、「あー、そうか」母の日にもかなりの過剰な誉め言葉を送ってきたが、次の誕生日にはどんな殺し文句を言ってくるだろうか。

もう今回の誕生日カードですべて言い尽くしてしまっているかもしれない。今のところ、「お金を送れ」とは言ってこないところを思うと下心があったわけではないようだ。

私も母が生きているうちに母にいままでのお礼を言わなければ。マザーキラーにならない程度に。

竹下弘美

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