セピア色の大晦日  

アメリカで迎えた初めての大晦日

もうかなり昔、渡米直後の話になる。その晩はアメリカで初めて迎える大晦日だった。ホテルのコーヒーショップでバスボーイ(ウエイトレスのやらない、客が食べ終わった後のお皿の片づけをする仕事をする人)をしていた夫を、夜十一時の閉店時に迎えに行った。もう記憶の中でもセピア色になってしまいそうな昔々のサンディエゴでの話。

アダルトスクールが終わってパーティーのある日には私も同じホテルの宴会場で、ウエイトレスをした。パーティーは毎日あるわけではないし、ウエイトレスもかなりいたから、声がかからない時もあり、毎日仕事があるとは限らなかった。

夫の方は学校の後、毎日、午後3時から11時までバスボーイをしていた。その日は私も結婚式の披露宴で働いたので、足が痛かった。

反対された結婚

反対する両方の親を一年かかって説得して、その6月に結婚。7月に渡米、サンディエゴにいた義姉家族の家で世話になり、英語学校に入学。3か月経ってから、自分達でサンディエゴのダウンタウンのアパートを借りた。

どうも安いと思ったら、大家さんは白人だったが、黒人街の真ん中だった。

「語学のためにも働いたほうが良い」と義姉夫婦は私達に自分でレストランのドアを叩くよう、私達にスパルタ教育をした。

海辺のレストランを一軒一軒文字通り、ドアを叩いた結果、夫はすぐバスボーイの職を得た。海辺のミッションベイに今もある、カタマランホテルのコーヒーショップだった。当初、まだ自動車をもっていなかったので、毎晩タクシーを使ったから、その日の稼ぎはほとんど全部、タクシー代になった。

古き良き時代。 アダルトスクールの先生から、語学のために仕事に就くという許可書を書いてもらった。その後中古の車を手に入れ、(たしか2百ドルちょっとだった)私も夫の紹介で、同じホテルのウエイトレスとして、働きだしたわけだ。

日本で働いて貯めた2千ドルはたちまち消えてしまっていたから、少しでも現金が入るのはありがたかった。

仲間は皆白人で、ほとんどはカレッジの生徒。彼らの早口の英語がききとれず、大変だったが、ヒヤリングの実地勉強ができた。中には、生涯ウエイトレスをしていたベテランのおばさんもいてかわいがってくれた。

海は紺碧

ホテルはサンディエゴ湾に面していた。海は紺碧という感じそのものの色だった。
私はパーティーのウエイトレスだったから、オーダーはプライムリブをミディアムにするか、エンドカットがいいかとか、ドッギーバッグ(残りものを持っていくための袋)が欲しいかとか、その程度、話せばよかった。

黒の半袖のブラウスに白が入ったサロンエプロンをし、靴は革靴を履かなければならなかった。足が棒になる、という経験を初めてした。いつか、ここに客として来る日があるようにと痛い足を紺碧の海を眺めながら思ったものだ。

鐘撞堂

そして大晦日。働き始めてから、4か月が経とうとしていた。その日は夫と海岸に行くことにしていた。というのは海岸にサンディエゴの姉妹都市である横浜市から寄贈された鐘があり、日本と同じように除夜の鐘を撞くとアダルトスクールの先生、ミス・ハンコックからきいていたのだ。ヤシの並木の下に車を止めて、前方のコーヒーショップを見た。

そこだけ明るいから、中が見える。最後のお客さんが出て、夫が後片付けをしている。黒い蝶ネクタイをして、白い上着だ。日本にいた時、まさかアメリカに来てこんな仕事に就くとは思いもしなかった。

かなり経ってから、夫のやせた姿が車に向かって出てきた。午後3時から立ち通しでかなり疲れたようだ。でも今晩は海岸に車を走らせる。

すでに多くの人々が、鐘撞堂の周りに集まっていた。日本の鐘撞堂と全く同じだ。前方の海は真っ暗で軍艦のような船が浮かんでいるのが、小さな灯が灯してあるのでわかる程度だ。

12時だ。闇の海に花火があがった。除夜の鐘が始まった。紙笛がピューピュー鳴らされ、人々はパンタロンを海風になびかせて、「ハッピーニューイヤー」と騒ぎだした。

「アメリカ人ってきいていたけど、騒ぐのが好きだな」と夫。もう新年だ。私達が結婚したのは昨年になってしまったのだ。感慨無量だった。夫とアメリカにいて新年を迎えたというのが、夢のようだった。

反対された結婚

「娘に対するご好意はありがたいですが、この話はないものと思ってください」

と慇懃に彼のプロポーズに対して返事をした父。

「そんなことが、可能なはずがないでしょう。この世の中で」と母。

韓国人の彼が我が家に結婚の承諾を得に来た時のことだ。それからの家族の中での冷たい空気と、悲しみの空気。家の中でも手紙で父とやり取りをしなえればならないような状態だった。

夫の方も韓国の良家だったので、その長男が日本人と結婚するとは大変なことであった。その上、韓国人が日本社会でどのように生きていけるか、たとえ結婚できたとしても私達の課題だった。

親が泣いているのを見ながらも自分達の意思を通し、承諾させて渡米してきて新年を二人で迎えたのだ。

結婚式でも下を向きながらも受け入れてくれた両親。また日本人との結婚がどんなに忌み嫌われるかわからないのに承諾してくれた彼の家族。これから、どうなるかわからないけれど、少なくとも彼らの犠牲に報いるだけの生き方をしなければならないとまた遠方にあがった花火を見ながら思ったものだ。

あれからアッと言う間に時間が経って、すでに娘と息子も与えられ、孫も二人いる。

来年はあのサンディエゴの紺碧の海を見に行こう。原点に戻りに。まだ二人が揃っているうちに。

竹下弘美

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One Reply to “セピア色の大晦日  ”

  1. お写真なかなかべっぴんさんですね。ラッキーなイー兄弟!!”紺碧の空”は早稲田の第1応援歌なんでなんだか懐かしい思い出がよみがえってきました。弘美さんの随筆を読ませていただいて僕の妹が金田一京助先生に随筆をを見ていただいて褒められていたのを思い出し、自分の思いをすぐ、活字に表せる人をいつも羨ましく思います。身についた洞察力、観察力は神様から頂いた素晴らしい賜物だと思います。呉服

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