セピア色の思い出(1)新聞売りのおじいさんとの別れ

散歩道に寄るメキシコ食材店

毎日夕方、夫と、陽が沈む直前に近所を歩いています。自粛生活になってから必ずやるようになった日課です。

そうでもしないと、今に足が退化して歩けなくなるのではないかと思うほど、家の中での行動は限られていますし、特に夫は書き物ばかりしていて、運動量が私に比べて少ないですから、私が促がさないと動きません。

かつて勉強は身体に悪いと、運動ばかりして、成績は60点すれすれを取る事を心掛けていたという若いころの姿は想像がつきません。

10月に入り、陽が早く沈むようになりましたから、時間的には今まで7時ごろから歩き出していたのですが、このごろは、6時過ぎになりました。

街灯がつくころです。いつもいろいろなルートを巡ります。我が家の周りはまるで小人の町に来たのではないかと思うような小さな家が並んでいて、それぞれの家を見るのも楽しみですが、時たま、ちょうど中間点にあるメキシコ人経営の食材店に寄ります。メキシコ人経営の食材店はどこも野菜や果物が良質です。

たいてい、翌日のバナナが切れた時に行きます。(私は必ず、バナナを毎朝食べるので)ついでにレタスなども良質でしかも格安なので、買うこともありますが、いつも使う料金は1ドルか、せいぜい3ドルです。ほかの物は一遍に大きなスーパーで買うので、散歩がてら寄るそのお店では1,2品しか買わないのです。

きっとお店の人は私たちのことを、貧しくてそれしか、買えないと思っているのではと夫と話したところでした。

新聞売りのおじいさん

そして思い出したのが、(このごろ、昔のことばかり思い出すのは、加齢のせいですね)昔、ロサンゼルスのダウンタウンで働いていた時のことです。

仕事の帰り、会社の指定した駐車場に行くまでの間に新聞売りのおじいさんがいて、毎木曜日に私は彼から夕刊を買っていました。どうして木曜日かといいますと、毎日買うだけの贅沢はできなかったことと、木曜日のフードセクションに、食料品のクーポンがついていたからです。

目は老人性だからでしょうか、潤んでいて、また片足が不自由なようでした。勝手に私は彼が貧しいと思い込んでしまいました。

いつも新聞を買うだけでしたが、一言、二言交わすようになりました。何人だつたかわかりませんが、白人でした。いつもにこにこしてくれました。時々そのおじいさんがいなかったりするとなんだか、心配しました。

というのは実際、一回高血圧で倒れて休んだことがあったからです。私もビザのことで日本に長く帰ることもあったりして、お互い顔を合わせないと心配し合うようになりました。

「明日から一週間バケーションでワイフとメキシコに行ってくるから心配しないで」と私に言ってくれたこともありますから生活に困ることなどなく、新聞を売る仕事もリタイヤ後の気楽な仕事だったのかもしれません。

それを聞く前には、彼が貧しいと思い込んでそっと果物を手渡したこともありました。

そのうちに私が働いていたオフィスがフォースストリートとメインストリートの古いビルから、新しいビル、ワールドトレードセンターに移転することになりました。

その最後の日、彼は「ハニー、you are a nice girl, God is with you」と別れの言葉を言ってくれました。

私はちょっと寂しく思いましたが、オフィスが遠くなっても、ここを通れば彼に会えると思って自分を慰めました。

しばらくしてから、自動車でそこを 通った時に唖然としたのです。そこにはおじいさんの姿はなく新聞の自動販売機が取って代わっていたのです。

メキシコ食材店の従業員が私達を貧しい老夫婦と思っているのでは、と考えたことから、昔のセピア色の思い出が蘇えって来た一日でした。

竹下弘美


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“セピア色の思い出(1)新聞売りのおじいさんとの別れ” への2件の返信

  1. ご主人との夕暮れの散歩、いいですね。
    あかね雲というのでしょうか、なんというきれいな夕べの空。 堀口大学の「夕暮れの時は良い時 かぎりなくやさしいひと時・・・・」の詩を思い出しました。人生の途上で出会った忘れられない人たちの事を思いすのは、私たちが、まさに人生の黄昏にいるからでしょうか。

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