セピア色の思い出3~私達のアメリカのお母さん、ミセス・ケラー

ロサンゼルスの冬の寒さ

今年はクリスマスも大晦日もあまり寒くはありませんでしたが、例年、南カリフォルニアではそのころ、とても寒いのです。

キャロリングをしたクリスマスイブもそしてローズパレードの1月1日も極寒の思い出があります。

あの日もひどく寒い日でした。ロサンゼルスのダウンタウンの勤め先から1回乗り換えたバスを降りて、くたくたになった私は、ようやくミセス・ケラーの家の灯にほっとしました。もう40年以上前のことです。

郵便箱をのぞいてミセス・ケラーの庭をつっきり、真っ暗な中にブッシュを通り過ぎると夫が勉強している姿が見えました。

こんなに暗くなったのにカーテンも閉めないで。子猫のジョナがドアに迎えに来ました。

さあ、今晩の夕食には何を作ろうか、慣れない英語の世界での仕事。学生の夫との生活がかかっている緊張の連続の日々でした。

そのために、昼間は夕食を何にするかなど考える暇もない1日でした。その日は一番疲れの出る木曜日で、バスの中では疲れて寝込んでしまいました。

「ただ今」と言ってソファに荷物を下ろすか下ろさないかのうちに電話のベルが鳴りました;

「みみ、寒かったでしょう。熱々のシチューができているから取りにいらっしゃい」

大屋さんのミセス・ケラーからの電話でした。

私は大喜びで庭をつっきって彼女のところに走って行きました。フランス人を母にもつミセス・ケラーは70歳を過ぎても料理好き。その上アメリカ料理と違って、美味しいのです。

彼女は子供もいず、医者の未亡人として猫7匹(イエス様の12使徒の名前がつけられていました)と、ぜいたくな家具に囲まれて過ごしていました。

庭をへだてたデュプレックス(2軒続きの長屋)やトリプレックス(3軒続きの長屋)を若い人達に貸していました。この写真のバックがその貸家です。

シチューの温かさ

「今日は、この寒さと疲れに、このシチューは天からの御馳走みたい」と言うと彼女はご満悦。そんなことが度々ありました。また彼女の貸家の規則ではペットは禁じられていたのにもかかわらず、私が拾った猫を特別に飼う許可もくれたのです。

その後、永住することになって、職も得た私達は引っ越すことになったのですが、それはミセス・ケラー宅よりもかなり離れた地でした。

そのため彼女に会うのは、一年に2,3回、イースターやクリスマスの時に、食通の彼女をあちこちのレストランに連れて行く時ぐらいになってしまったのです。

以前はサンクスギビングなどにはお料理上手な彼女が大きなシャンデリアの下で手作りの御馳走をしてくれたものでしたが。

ファンシーな日本食のレストランに彼女を連れて行った時には、あいかわらず、彼女はミンクの毛皮のコートを着て、でも足はよろよろ。

天ぷらを膝の上に落とし続けていて、私と夫は見て見ぬふりをしていました。そしてそれが彼女との最後の時となりました。

私だけではなく、多くの留学生や日本から来た方々が、「アメリカのお母さん」という話をされます。

私達のミセス・ケラーのように多くの方々にアメリカのお母さんという存在があるようです。

今の私達をそして多くの人々をこのアメリカに根付かせてくれたのも草の根の働きの「アメリカのお母さん」の故でしょう。

「あなたがしてもらったことを今度はあなたが他の人にしてあげればいいのよ」という声が聞こえてくるような気がします。

寒い日の熱々のシチューの中に感じたミセス・ケラーの愛の思い出です。

竹下 弘美


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“セピア色の思い出3~私達のアメリカのお母さん、ミセス・ケラー” への5件の返信

  1. 本当にあの頃はアメリカで学生になるのにはスポンサーが必要でクリスチャン家庭の家で家族同様にしてもらいアメリカの生活と言うものを肌で教えてもらった。今考えると日本より長く暮らした私はアメリカの生活や考え方の方が私には合っているとこの頃深く思う  いい時代にこの国に来た事に感謝している

    1. 私も学生で渡米して早くも40数年がたち生まれた国で過ごした倍の年月暮らして居ます.田辺さんだけで無く茂川さん,田村さん,林さん沢山のお母さんの味に満たされて,慰められて来ました.これからは私がと 思って居ましたが コロナで 出番がなくなり,せっかく頂いたお鍋の出番がなくなってしまいました.でもお腹だけじゃなく 心も満たされた思い出は沢山あります。

    2. やはり、その底にはクリスチャニティーがあるのでしょうね。
      それからこの国自体が移民の国であることから、他所者を大切にしてくれるカルチャーなのでしょう。

      果たして日本ではいま多くの外国人を受け入れていますが、このようにその人たちを大事にしてあげているかしら?

  2. 微笑ましい「アメリカのお母さん」との出会いと交流のお話しは、私も似たような経験をしたので、懐かしく思い出しました。
    別世界から移住して来た私達を暖かい心で親身に世話してくださった人々に何度も支えられ、励まされて今日まで来ました。これからも一期一会を大切に生きて行きたいと思うこの頃です。

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