子供時代の一番楽しかった思い出―家族で祝ったクリスマス     

クリスマスの朝

今日このごろ、すでに町はクリスマスの飾りや商品で溢れている。小さい頃のクリスマスの朝の事を思い出す。朝、まだ雨戸が閉まっていて、欄間からかすかに光が入る頃、私は枕元を手探りしたものだ。

ベッドではなく布団での寝起きだったから、枕元の上に風呂敷を広げていた。靴下では入りきれないくらい、サンタクロースがいつもどっさりといろいろな物を置いて行ってくれたからだ。

まず暗がりの手探りの後、横で寝ている姉も同時に起きて、電気を点け、今度は起き上がって正式にプレゼントを見る。

後で考えると、猛烈銀行員であった父が、よくあれだけの時間をかけていろいろな物を揃えてくれたものだと自分が親になった今、感心する。

なぜ母ではなく父だったと思うかと言うと、プレゼントの多くが、普通の玩具店では見つけられないようなもので、外国製のようだったからだ。と言ってもはっきり何だったか思い出せる物は、珍しい類のキャンディや雪のついた家の模型だけだが。

なんだか、外国の匂いがしたような気がした。父は、あの多くの品をどこで手に入れたのだろう。

私達の顔を見る事ができないくらい、朝早く家を出て、夜遅く帰っていた父に、よくその時間があったと感心する。最近俳人であった父が出した本の中に次のような俳句を見つけた。

「子に買いし玩具にしぐる街急ぐ」

勤めの合間に私と姉を思って玩具を探し求め、師走の町をあちこち走り回ったのだという事が、「街急ぐ」という表現から読み取れる。

親になってからのクリスマス

アメリカで、自分が親になってからのクリスマスはと言えば、いつもクリスマスツリーの購入から始まった。

我が家ではあの樅の木の匂いが好きなので、毎年、生きた木を購入していた。使い捨てだから贅沢のようだが、その分必ず、セールで安く買っていた。

プレゼントは子供が小さい頃は、それとなく、彼らが欲しがっている物を日頃から探っていたが、買い物は、昼間は子供が一緒なのでなかなかできなかった。

寝かしつけてから夫に頼み、私だけが買い物に走るようにし、それをクリスマスイブに子供が寝静まってから、ツリーの下に置いた。

南カリフォルニアにいた頃は毎年クリスマスイブに、我が家に四十名ほどの教会の人々が集まり、近所をキャロリングするのが恒例行事だった。

五軒ほど歌って周り、寒さに震えながら家に帰り、また讃美歌を歌い、皆で食事をし、ゲームをしたりして、寝るのが遅くなりかねなかった。

「早く寝ないとサンタクロースが来ないよ」とパーティーの後片付けをしながら、興奮気味の娘と息子を寝かしつけたものだ。彼らが寝ついたのを確かめて、ツリーの下にプレゼントを置いた。

クリスマスの朝はいつも暗い内に娘の「クリスマスですよー」の声で始まった。そして、娘がまだ寝ている弟を起こす。私達夫婦はまだ寝ていたいのに、起こされた。

南カリフォルニアでもクリスマスの頃は寒く、ヒーターを点けて、部屋が温まるまで娘も息子もパジャマの上から半纏を着たので、それがクリスマスの朝の装束として定番になっていた。そしてクリスマスツリーの下に駆け寄り、プレゼントを開くという毎年だった。

それは大学に行ってからも、帰省するクリスマス休暇にはいつも続いていた。さすが、半纏はもう着られなくなっていたが。

サンタクロース

ある時には、娘が”my little pony” と言うポニーがついている自転車を欲しいと言っていた。

ところがその年には、それがとてもポピュラーで、私が買いに行った時には既にどこを探しても売り切れで、クリスマスまでには来ないというではないか。

仕方がないので、サンタクロースになりすまして、娘宛てに手紙を書いた。

「みんながこの自転車を欲しがっているので、サンタ工場では間に合わなくて困っています。クリスマスが過ぎてから届けるので、良い子で待っていてね。サンタ」

その手紙をクリスマスツリーの下から見つけた時の娘のがっかりした表情を今でも覚えている。早く買い物をすべきだった。

私自身は、少し大きくなってサンタクロースは実在しないとわかってからも、何年も親のために、あたかもその存在を信じているふりをしていた。子供心に親を喜ばせたかったのだ。

私の子供はどうだったのか最近訊いてみたところ、なんと娘は小学五年生までサンタクロースの存在を信じていたと言う。少し大きくなってからは、直接何が欲しいかを本人達に訊くようにした。

最近は、娘も息子も自分達が稼ぐようになったから立場が逆転して、彼らが私達両親に何が欲しいか、訊ねるようになった。又、娘は自分の子供二人のために奔走している。

息子にとって一番楽しかった子供の頃の思い出は、家族が生のクリスマスツリーを囲んで祝う事だったとメールして来た。

心臓麻痺を患った夫は、今ではもうクリスマスツリーを抱える事が体力的に無理で、家に飾る事はできなくなってしまった。これまでできていた事ができなくなる時が来るとは思いもしなかった。

有名な歌、“I’ll be home for Christmas”のように、たとえプレゼントやクリスマスツリーが無くてもクリスマスには家族が一緒に集まる事ができるのが一番だろう。

私達も、娘家族は私達の家の近くに住んでいて、そこにニューヨークから息子夫婦が来て家族皆が集うことはできる。

クリスマスを迎えるにあたり、家族が集い、家庭が基礎になって平和な世の中が実現していくようにと切に願う。

竹下弘美

にほんブログ村 子育てブログ 子供の教育へ
子育て・子供の教育・ブログランキングに参加しています。よろしければ応援クリックをお願いします。

One Reply to “子供時代の一番楽しかった思い出―家族で祝ったクリスマス     ”

  1. 弘美さん
     我々の家族はクリスチャンではなかったから、キリスト教的なお祝いはしたことがありません。でも、毎年25日の朝には一年に一回限りのチョコレートが枕元に置いてありました。キャラメル仕立ての。あれは美味しかったナア。好きだったナア。
      ガリ子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA