最高のライフワーク、それは子育て

私の仕事遍歴

今まで作家になれるくらい、いろいろな仕事をやってきた。男遍歴があれば瀬戸内寂聴のように本が売れるだろうけれど、それがない代わりに仕事遍歴なら、かなりある。

一番初めは大学生の時の家庭教師の仕事だった。教えるというよりも一人っ子の中学生の娘さんの遊び相手だった。お相撲をしたり、夏は一緒にそのお宅の軽井沢の別荘に行ったり、妹のような存在の彼女との楽しい時だった。六歳違いの彼女は今ではもうお孫さんに囲まれている。

アルバイトとして、選挙演説の車での放送嬢や、スーパーでのマックスウェルコーヒーの試飲を進める仕事など、いろいろ経験した。

大学卒業時には、女子学生の就職難の時期とぶつかったが、自分で会社の門を叩いて、念願の編集の仕事に就いた。新しく文庫本を始めたその会社での書籍の編集は、毎月三冊を一人で担当させられ、その担当の本はすべて自分が好きなように挿絵画家やあとがきを書いてくれる作家を決めることができた。またその本の宣伝文も書かなければならなくて、創造的な楽しい仕事だった。

大佛次郎や井上靖、川端康成も生きているころで、ゲラをもらいに行く時に会うことができた。

“仕事に生きる女”と自称して、お茶汲みを拒否した。そのような大好きな仕事に就けたのに、今の夫(昔の夫がいるわけではないが)に出会ってあっけなくこの仕事を辞めて、渡米した。

まず英語を習得せねばならない。サンディエゴで宴会場のウエイトレスを足が棒になるような思いをしながら、仲間から英語を習った。その後、ロサンゼルスに出て仕事を探したが、なかなかみつからず、ボーリング場のコーヒーショップのウエイトレスをしたが、オーダーが取れずに二日で頸になったことはこの欄でもすでに書いた。

職業紹介所を訪ねて、計算ならできるだろうと、乙仲業の会社の経理に入社。さっぱりわからない英語の経理を、なんの前知識もなく、仕事をしながら、習得した。まだコンピューター化されていないころで、仕事の九十パーセントは加算器を使っての収支決算報告書作成だった。

隣の部屋では大きな音をさせながら、どでかい機械で計算書をつくるためのシート作成をしていた。今のコンピューター時代には考えられないような、手間のかかる作業だった。このロサンゼルスのワールドセンター内の会社で、子供が生まれるまでの九年間働いた。

土曜日には日本語学校でも教えた。下の子がキンダーに入学した時に、オレンジ郡の日本の本屋さんで、子供が学校から帰るまでの時間、働いた。これは人と会うのが好きな私には、日本の本が読めることもあってうってつけのアルバイトだった。

北カリフォルニアに引っ越してからの仕事

夫の仕事でサンフランシスコ近郊に引っ越してからは、学校のボランティアなどをしていたが、友人とギビングハンドという会社を設立して、サンフランシスコ近郊ガイド、サンフランシスコ空港で乗り継ぎサービスなどを仕事にした。

赤字続きで廃業。息子が高校一年の時、日系企業の日本人駐在員の世話の仕事に就いた。総務だからいわば雑用係だ。

駐在員の配偶者達の運転免許更新手順をどうするか、上役と相談したり、赴任する駐在員三人のホテルの予約、これも会社契約のホテル条件をいろいろ調べて決定、社内結婚をする人のウエディングシャワーの企画、帰日する駐在員の送別会のためのレストランの場所とメニューの選択、そのお知らせを会社全体に知らせること、ビザ更新にカナダに出る駐在員のガイダンス、近々赴任する駐在員のカリフォルニア運転免許ガイダンスの準備、出張者の出張旅費精算という具合に仕事が限りなくある。雑用ばかりで、決してキャリアレディの仕事ではない。

けれど、このひとつひとつが今までの人生経験を生かすもの、という心構えでやっていた。たとえ給料の明細を封筒に入れる仕事ひとつでも、宛先をまちがえたら大変なことになるし、不得意な切手や宛先のシールを曲がらないで貼ることなど、まさに私の人生の集大成だ。

この私の最後の仕事に就いているときに、会社のキャリアレディの若い方から相談をもちかけられた。彼女はエール大のMBAを出ている。ようやく待ちに待って生まれた五歳の男の子がいるという。

一線を退いて子育てをしていたが、産休の人の代理で三日間働いていた。その契約日が終わるころ、ぜひ、フルタイムで働かないかと、とても良い条件を会社からもちかけられたという。

彼女が子育てのすばらしさに、いったいあのMBAの時の苦しかった勉強は何のためだったろう、と思うようになっていた矢先のことだという。こんなにすばらしい世界があったのに、どうして、あんなに勉強する必要があったのだろうか、とはいえ、自分のキャリアを思うと、心は揺らぐという。しかもその子供さんは自閉症で普通の子供よりも親のアテンションが必要だというではないか。

私はすかさず、仕事より子供を選ぶように助言し、彼女の心もすでにそのように決まっていた。彼女と話していて、私も仕事遍歴はいろいろしたが、生涯で一番好きで、一番成功した仕事は、やはり、二人の子供の子育てだったことに気がついた。この偉大な仕事は私のライフワークだった。

「子育てを経験することは、大学で哲学を学ぶよりもすごいことよ」とは三人の子供を育てた姉の言葉。この仕事に就くことができ、それを完遂できたのだから、もう思い残すことはない。

竹下弘美

               

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2 Replies to “最高のライフワーク、それは子育て”

  1. 先ほど弘美さんより送られてきたEmailのアドレスをクリックして飛び出した写真を見て我が目を疑った。「あの有名な川端康成のすぐそばで親しげに笑顔で座っている美しい女性は誰だろう?」と注意深く見ると、それは私たち家族がいつも気安く話しかけている弘美さんではないか!眠気がいっぺんに吹っ飛んでしまった。この日曜日の午後教会の外で家族と一緒にご夫妻と写真を撮った際「モデル料を!」と言われたので私は冗談と思って笑って去ったが、いえいえそれは冗談ではなかった。「すぐにモデル料を用意しなければ!」と、写真と文章を拝見して思う次第です。私たち家族はすごい方と接しさせて頂いているのだと今頃気づかされている。あ~恥ずかしや!恥ずかしや!

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