若気のいたり万歳 

断られたプロポーズ

今年も結婚記念日がやってきた。私たちの結婚は両方の親から反対されたにもかかわらず、最終的にはには親がかりの結婚式となった。

その前の一年間というもの、母は私が仕事から帰るといつも、暖炉の前に座って泣いていた。今思うと私の足音が近づいた時点で、急いで座り、ずっと泣いていたふりをしていたのではないか、ひょうきん者の母のことだからそうだったのかもしれないが、当時の私はそんなにまで母を苦しめているのではと真剣に悩んだものだ。

とはいえ「親は子供の幸福を願うんでしょう? 子供に相手を選べるだけの責任能力をつけるような子育てをしたなら、反対なんてすることないのに」などと、生意気な憎まれ口をきいて、着々と結婚渡米の準備を進めていた。

けれどその中でやはり親の了承を得たい一心で二人の大学の恩師に姉夫婦に会いにいってもらったり、向こうの姉夫婦に仲立ちになってもらったりした。

そして、「娘に対する御気持ちはありがたいですが、これはなかったことにしてください。」と慇懃無礼に断った父が、まず、向こうの家族と会うことに同意してくれたが故にとんとん拍子で、婚約式、続いて六月の挙式が決まった。話をもちだしてから、一年と四ヶ月たっていた。

あの結婚式の日、母校のチャペルの向こうに夫の真っ白なタキシード姿を見た時、夢かもしれないと瞬間思った。前の晩、夜二時まで式のためのコサージを作りながら、父の帰りを待っていて睡眠不足だったこともあるだろうが、反対があまりにも大きかったが故に現実とは思えなかったともいえる。またいつもそんなに遅くなったことのない父の帰宅が遅かった理由がわかる気がする。

父にとっても母にとってもやりきれない、でも受けいれなければならないつらいことだったと思う。披露宴での写真を見ると、夫からの花束を受け取った母は下を向いているし、私の目も赤い。決して両(もろ)手をあげての喜びの挙式ではなかった。

それは私の家族の方ばかりではなく夫の方としてはなおさら韓国の由緒ある家系の長男が、日本人と結婚するとはとんでもないことだった。むしろ、我が家にとってよりも大きな打撃であったろう。

結婚反対の理由

私の家族側の反対理由はもちろん、彼が韓国人であり、苦労するであろうということ、また国籍をとやかくいわれないような技術をもつために米国留学を考えていたこと、つまり、私が遠く離れてしまうこと、また、一番の大きな理由は母にとって私の裏切り行為だと思う。

それまで、母にとって私はマスコットのような存在であった。末っ子の私はなんでも母に話していたが、彼のことは反対されるとわかった時点で、一切つきあっていることを話さないようにしていた。その母の裏切られたという思いはどんなにつらいものだったかと自分が娘をもった今察することができる。まさに「子をもって知る親の恩」である。

そして、まだ一ドルが三百六十円のころ、二人で大学を卒業してから貯めたニ千ドルだけを貯めてすでに南加に嫁いでいた義姉を頼って無我夢中で渡米した。たしかに無茶なことであった。それだけのお金をもとに、国籍をとやかくいわれないだけの技術をアメリカで学んで日本に帰ろうという計画であった。まさに若気のいたりである。

ふつうに考えてみたら、常識はずれのオプティミストだ。けれど日本社会ではそのころ、夫を韓国名のまま受け入れてくれる職場はなかった。帰化するためには自活するための職業についていなければならず、その職業には国籍故につくことができないという悪循環であった。

すでに亡くなっていたが、夫の父親が政治家であったので、その伝で、マスコミ関係の就職試験を受けさせてくれる人脈はあったが、入社試験を受けることは許可されても採用の対象にはしないというような厳しい日本社会であった。そこで当時日本に根をおろしたいと思っていた夫の考えた策はすでにこちらにいた義姉を頼って留学することだったのだ。だいたい私は波乱万丈の人生を夢みていた。

親の庇護のもとではなく自分で自分の人生を切り開いたという実感を味わいたいと思っていた。これはまさに私が望んでいた胸おどるドラマだった。バスボーイ、ウエイトレスから始めたが目的遂行の愉しい毎日だった。渡米直後、次のような文を書いたことがある。

シンデレラの鏡

―「鏡よ鏡よ。世界中で誰が一番美しい」「お妃さま、それは貴女が一番美しい。けれど森の中の白雪姫は千倍も万倍も美しい。」一月、四十五ドル也で見つけた家具付きアパートの鏡。磨きたいけれど、磨く液は一ドル近くする。スーパーマーケットで手をだしかけたけどやめた。もし磨いたら、白雪姫の継母の鏡ではなくなるかもしれないから…..。

 昔、「小公女」が好きでした。お金もちのセーラーがいっぺんに貧しくなったとき、汚い屋根裏に住みながら、空想力でお部屋をきれいにする所は私の大のお気に入りの部分でした。

「家なき子」と対になっていた「家なき娘」も好きでした。彼女が森の中の草で靴を編んだり、葉っぱのお皿を作ったりする所は息もつかず何回も繰り返して読みました。そしてそんなことができたらどんないいいだろうと、今度は自分が主人公になった空想をするのです。そして、今、空想ではなく、私は主人公になりました。

「小公女」ほどは貧しくないけれど、「家なき娘」のように自然に囲まれていませんが、貧しいことは確かです。大きな大きなダンボールの箱にポスターを貼ってタンス代わりに、空き缶に和紙を貼って鉛筆立て。空き箱に布をかけて小卓に。野原でつんできたお花を飾ります。最低の家賃とはいいながら、白雪姫の継母の鏡まである私達二人だけのお城、蜜の味のお城です。「鏡よ鏡よ。世界中で誰が一番美しい」「奥さま、それはあなたが一番美しい」夫が答えてくれました。―

今思うと若気のいたり。でもその若気のいたりで、私は傍目には苦労したとみえたかもしれないが後悔しない自分の道を歩むことができた。親達も後からは理解してくれた。

娘が、そして息子がどんな相手を連れてきても自分達のことをふりかえると私達にはとうてい反対などできない。情熱をかける若気のいたり、大歓迎である。

竹下弘美

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